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2008年2月

2008/02/29

ワインラベルであわや国際問題? ムートン・ロスシルド

ワイン好きな方にとって、ボルドーの五大シャトーのひとつシャトー・ムートン・ロスシルドは憧れのラベルですよね。優れた品質のみならず、ラベルが毎年異なる画家、アーティストによって描かれていることでも知られているロスシルド。この伝統は、1945年以降続いており、ピカソ、シャガール、ミロのような大画家のほか、イギリスのチャールズ皇太子が風景画を描くなど、バラエティに富む人選が魅力です。
そんな、ムートンのワインラベルアートを紹介する特別展「ムートン・ロスシルド ワインラベル原画展」が3月1日から、3月30日まで六本木ヒルズの森美術館で開催されます。

ムートン・ロスシルドのラベルに初めて絵が描かれたのは1924年のこと。創業者ナタリエの曾孫(ひまご)、フィリップが考案しました。彼は自分のシャトーで作られたワインは、全て自分のシャトーで瓶詰めまで行うという方法を取り入れたことでも知られています。これ、今では当たり前のようになっていることですが、当時はワインの瓶詰めはネゴシアンと呼ばれる別の業者がやっていたのです。そしてフィリップはこの年1924年のラベルを、ポスターデザイナーのジャン・カルリュに依頼し、ムートン・ロスシルドが特別なワイン、独創的なワインであることがひと目でわかるようにしたのです。

戦争による中断の後、1945年からワイン作りが再開されると、ムートンのラベルは毎年異なるコンテンポラリーアーティストに依頼されることになり、ボトルは、やがてワインとアートの融合のシンボルとなりました。
ところで、大御所バルテュスも1993年に絵を描いていますが、その絵はバルテュスらしい少女の裸体像、ヌードのデッサンでした。しかし、この絵に対して当時深刻な幼児虐待問題を抱えていたアメリカからクレームが発生、輸入禁止の処置も取られる可能性があったため、アメリカ輸出用に何も描かれていない真っ白のラベルを急遽用意し、輸出にこぎつけたエピソードもあります。

なお、ラベルを描いたギャラは、金銭では支払われません。代わりに、本人の作品が貼られたヴィンテージも含めて数ケースのムートンを贈られるのが慣習だそうです。

2008/02/28

また愛読誌が消えていく。『TITLE』

文藝春秋社より発売されている雑誌『TITLE』が、現在発売中の4月号をもって休刊となってしまいました。2000年に創刊された『TITLE』は、ワンテーマ特集主義の月刊誌。毎回、丁寧な取材で読み応えのある記事を届けてくれていただけに残念です。

僕は、毎号という訳ではありませんが『世界の鉄道旅行』『イタリア映画旅行』『至福のコーヒー・ミュージック』など、興味あるテーマが特集されていた1冊は楽しんで読んでいたもので、いまでも本棚に置いてあります。

『ダ・カーポ』も休刊してしまったし、読みたい雑誌がどんどん無くなっていくので、読者としても編集者としても寂しいです。

雑誌全体の広告売り上げがインターネットに抜かれ、テレビ、新聞に次ぐ第三の広告媒体の地位をネットに取って代わられた、という報道がなされたのはつい最近のことです。電車の中で雑誌を読んでいる人の姿を見かけることも少なくなりました。

作家、永井荷風は日記『断腸亭日乗』のなかでこんなことを書いています。

「雑誌より得る所の知識果たして何ぞや。予は雑誌閲読の時間を以て、古今を問はず学者のまとまりたる著書を熟読することとなせり」(『断腸亭日乗』岩波文庫 上巻 93ページ 大正14年(1925年)、12月5日の日記 )

永井荷風、47歳にしての雑誌との決別宣言であり、今風に言えば「雑誌を読むくらいなら、新書でも読んでいるほうがまし」ということになるのでしょうか。

当時、最もハイカラでそれ故に厭世家だった荷風の雑誌嫌いは極端な例ですが、それでも人間、年齢を重ねると雑誌とは疎遠になっていくものです。

これから高齢化社会が進めば、雑誌離れはますます進んでいくような気がします。“雑誌文化”というものがまだあるとするならば、これからの編集者とそれを支える(べき)スポンサーは、難しい選択を迫られている時期なのかもしれません。

そういえば、荷風が日記を書き始めた大正6年(1917年)に創刊された雑誌『主婦の友』も91年の歴史に幕を下ろし、休刊します。主婦という言葉で、結婚している女性を括ることはできない時代なのでしょうか。マダム ネーゼの時代ですから。

2008/02/27

コンサート会場でチラシを配るのは東京だけ?

今日は日本が生んだ偉大な指揮者、岩城宏之さんの著書『オーケストラの職人たち』(文春文庫)、そして岩城さんに大きな影響を与えたレオポルド・ストコフスキーについてお話してみたいと思います。

コンサート会場に行くと、大量のチラシが入ったビニール袋が配られますよね。世界最大の音楽市場でもある東京では、1年間に3000種類以上のチラシの束がコンサートホールで毎晩、何千何万と配られています。

このチラシを作成してビニール袋に入れ、都内にある何十箇所ものコンサートホールで主催者に代わってお客さんに配る仕事を代行しているのが、コンサートサービスという会社です。この会社を岩城さんが訪問し社長の佐藤修悦さんに取材しています。

佐藤さんによればチラシの製作、配布の代行という新しいビジネスを始めたのは1972年。6畳と4畳半のアパートがオフィスで、配るチラシも10枚ほどだったそうです。

転機が訪れたのは1986年のこと。この年、東京初のコンサート専門ホールとしてサントリーホールがオープンしました。そして音楽を生演奏で聴く喜びを覚える人が多くなり、その需要に応えるかのように次々とコンサート専門のホールが登場し、佐藤さんのビジネスも飛躍的に規模を拡大していったそうです。

どのような種類のチラシをどんな順番でビニールに入れて配るのかは、コンサートの内容によって異なるそうで、例えばバレエの公演会場で配るチラシの一番上に熊川哲也さんの公演チラシを置いておくと、ほぼ全てのお客さんが受け取るそうです。

熊川哲也さんといえば、まもなくグランドオープンする「赤坂ACTシアター」のプレミアムオープニングとして、314日から上演される、熊川さん主催のKバレエカンパニーの新作バレエ「ベートーヴェン 第九」が3月14日から上演されます。そのチラシも、いろいろなバレエ公演会場で一番上になって配られているのでしょうね。

ところで、世界の音楽都市のなかでも、これだけ大量のチラシを配布するのは日本、特に東京だけなのだそう。関西地方だと会場ごとの縄張り意識が強いのか、他の会場で行うコンサートのチラシを配るのは嫌がられるそう。

なお、配られたチラシを家に持って帰る人はおよそ8割、2割は置いていかれるのですが、その回収も佐藤さんの会社の仕事。

ちなみに、チラシを入れるビニール袋は男性用避妊具(つまりコンドーム)と同じ原料から作られた合成ゴムなんだそうです。どちらも、薄くて、丈夫、なのです

2008/02/26

外見も中身もゴージャス?カヴァッリのワイン

ロベルト・カヴァッリといえば、海外のセレブや、日本では叶姉妹がそのイブニングドレスをまとってパーティに参加するなど、セクシーかつゴージャスなデザインが人気のブランドです。

最近ではレストラン事業なども成功させていますが、そのカヴァッリが今度はワインビジネスにも進出しました。

カヴァッリ自身が所有するフィレンツェの別荘周辺と、30年前に購入したキアンティ・クラッシコ地区の畑から収穫されたブドウを使用しています。

有名醸造家を迎え、荒れた農地を蘇らせたのは息子のトマーゾ。裕福でトレンディ、そして派手なイメージが先行しているカヴァッリ一族ですが、このワインはその背後にある地道で熱心な研究活動、いいワインを作りたいという思いが結ばれたものだそう(飲んでいないので味は分かりませんが)。

年間生産量はごく僅か、昨年発売されたの初ヴィンテージは2004年もので4,800本のみです。さらに話題を呼んでいるのが年間2,000本の限定ワインセレクションである『カヴァッリ・コレクション』。

こちらはカヴァッリのアクセサリーを手がけるデザイナーが手がけたボトルとなり、これまた豪華なクリスタルの黒いグラス、輝石が嵌め込まれ蛇をかたどったワインオープナーと共にレザーの箱に入って販売されるとのことでした。

でもなぁ、黒いグラスでワインは飲みたくないなぁ、と思うのは僕だけでしょうか?。

2008/02/25

今更ですが、「芸術か猥褻か」のメイプルソープ写真展

219日、ロバート・メイプルソープ写真集の輸入禁止をした国の判断が違法であるという最高裁の判決がでました。

メイプルソープの死後、20年近くが過ぎており、この事件の発端からも10年ちかくが経っての判決に、『いまさら!』という思いもありますが、まず、この事件と裁判の経過について簡単に説明しておきます。

問題となったのはメイプルソープの死後、1992年にアメリカで出版された「MAPPLETHORPE」という写真集。この384ページもある厚い写真集の19ページに男性器が無修正で掲載されていることが問題となりました。

94年にこの写真集の日本語版を出版した映画配給会社『アップリンク』の浅井隆さんは、99年にこの写真集を持ってアメリカへ行き、帰国した際に成田空港の税関で、この写真集が「わいせつ図画」に当たると判断され、没収処分を受けました。

これに対し、浅井さんは国を相手に裁判を起こします。被告となった国側は「芸術性という名の下に、性器が露骨に写り込んだ写真がわいせつ図画に当たらないと判断されれば、わいせつ図画が氾濫することになる。」と主張し、全面的に争うことを表明しました。

2002年、一審の東京地裁の判決では浅井さんの主張が認められましたが、その1年後、二審の東京高裁では国の処分を適切と判断しました。

それから6年、最高裁は2008年の2月19日、東京高裁の判決を破棄したうえで日本国内への持ち込みを禁じた税関の処分取り消しを命じ、国の敗訴が確定したという訳です。

この裁判で争点となっていたのは、芸術か猥褻か、という永遠の問題とともに写真集の発売からすでに16年が過ぎていて、その間の社会通念、猥褻に対する認識の変化でした。まぁ、これについては話したいことはたくさんあるのですが、そういう趣旨のブログではないのでやめておきます。

ただ、僕がどうしても気になったのは、男性器が無修正で掲載されているのが384ページ中19ページに留まることなどを理由に、この写真集が猥褻ではなく芸術であるという裁判官の考え方です。じゃ、384ページ中100ページに男性性器が写っていたらどうなのか、あるいはこれが女性の性器だったらどうなのか、と考えると、この問題、根本的には(少なくとも日本では)何も解決されていないような気がするのですが。

この勝利を受けて写真集の日本での版元アップリンクの社長であり、裁判の原告であった浅井隆さんが、その写真集の展示を開催します。

写真展が開催されるのは3月7日、金曜日の1日限り。当日1930分より、浅井隆さんによるトークショーを行います。

99年、この写真集を日本に持ち帰った際、みずから税関に申告し、国の対応を見定めようとした浅井さんが語る芸術論には興味引かれるものがありますね。

写真展は3月7日、13時から19時まで、その後1930分よりトークショーとなります。写真展の入場は無料ですが、トークショーは有料。会場は渋谷のアップリンク。詳しくはアップリンクで検索してみてください。

2008/02/22

「A Day in The Life of Africa 写真展」

優れた報道写真に対して送られる世界報道写真大賞の発表が先日行われ、イギリスの写真家ティム・ヘザリントン氏のアフガニスタンの前線で疲れ果てたアメリカ兵を撮った写真が選ばれました。大賞となった写真はアメリカの雑誌『バニティ・フェア』との契約によるもので、2007916日に撮影されたそうです。 

ヘザリントン氏は賞金1万ユーロ(約160万円)を受け取るそうですが、命がけで撮影した写真にしては160万円って安すぎのような気もします。

この大賞を獲得した作品を含めた『世界報道写真展2008』は日本でも6月に開催される予定です。報道写真と言えば、横浜にある国際協力機構(JICA)横浜国際センターでは、世界を代表するフォトジャーナリスト約100人よる「A Day in The Life of Africa 写真展」を開催中です(3月2日まで)。これは写真家たちが世界のさまざまな国や地域に分散し、その国の1日をカメラに収めるイベント「Day in the Life」で撮影されたもの。

今回のアフリカ編は、アフリカのHIV陽性者数が子どもを含め2,500万人を越え、現在も1分間に2人の割合で感染者が増えているという危機的状況に対して問題意識を高めることを目的に企画されました。

会場では、フォトジャーナリストたちがアフリカ大陸の53カ国を撮影した作品の中から約80点を展示。優れたジャーナリズム作品に贈られる「ピューリッツァー賞」受賞歴がある写真家・ラリー・プライスさんやジェイ・ディックマンさん、日本人では五十嵐太二(タイジ)さん、村上佳子さんらによる作品も含まれています。

2008/02/21

ミラノの導入されたエコパス

今日は日本とイタリアの文化交流サロン「アッティコ」の協力でイタリアからの話題を取り上げてみたいと思います。

今年1月上旬からミラノでは街なかの一部のエリアにおけるクルマの通行を有料にする、エコパスという制度が導入されました。

月曜日から金曜日までは有料で、1日あたりの料金は、2、5、10ユーロの三種類。より大気を汚染する自動車は料金が高くなります。

ただバイクとガソリンエンジンでユーロ3, ユーロ 4 の基準を満たしているもの、ディーゼルエンジンでユーロ4 を満たしているものはこれまでどおり無料。また朝の7時半以前と、夜の19時半以降は無料となっています。

このように町の中心部へのクルマの乗り入れを有料化する制度には前例があります。例えば、ロンドンでは2003年からシティー周辺への乗り入れに対し8ポンドを徴収していて、その結果、交通量は1518パーセント減少したそうです。

スウェーデンのストックホルムでは、6ユーロをとり、6ヶ月経過した時点で、交通量は23パーセント減少しています。

いっぽう、ローマでもスモッグが規定量を超えているため、1月10日から毎週木曜日と日曜日に交通規制が設けられ、3月まで続く予定です。

どのような規制かといえば、車両ナンバーの末尾が偶数か奇数かで、2週間毎の木曜日に走行が禁止。さらに毎週日曜はローマの環状線道路内に設けられたグリーンゾーンにおいて全車両の走行が禁止されます。つまり3月までの日曜日は、ローマ市内で一部のエコロジーカーを除いて、まったく車を使えないことになったのです。

東京のように地下鉄や電車が発達している都市では問題ありませんが、

地下鉄が2線しかなく、あとは移動をバスに頼らざるを得ないローマで車が使えないというのはけっこう厳しいものがあるそう。

ちなみに、1月27日に警察のコントロールに出くわした車両は6500台。そのなかで3400台が実際は走行してはいけないエリアを走っていた規制対象車両だったようです。つまり2台に1台強は違反車だったことになります。

2008/02/20

世紀末のウィーン中に名前を残した男『モーツァルトの息子』

どの国の歴史事典にも、社会科の教科書にも名前を見つけることはできないけれど、ある時代、ある場所で話題になった、あるいは世間をお騒がせした人物。

今で言えば、テレビのワイドショーに連日取り上げられ、いつのまにか消えてしまった人々。

そんな史実に埋もれた、ある意味愛すべき奇人、変人30人の数奇な運命を紹介してくれる、いわば裏世界史とも言える文庫が『モーツァルトの息子』(池内 紀(おさむ)=著 光文社知恵の森文庫)です。

例えば18世紀末、シューベルトとほぼ同じ時期にウィーンに生まれ、シューベルトと同じように若くして死んだ、ヨーゼフ・キュゼラーク、という男がいました。

キュゼラークの仕事は、しがない下級役人。結婚もしていなかったし、普通なら死んだ翌日には誰も覚えていないような、そんな地味な存在の男であり人生だったのです。

しかしウィーンはおろかオーストリア帝国で彼の名前を知らない者はいませんでした。何故なら、彼が国中に自分の名前を書きまくったからです。建物や橋、塔はもちろん、チロルの山の頂にも

吸血鬼伝説のあるトランシルヴァニアの古城にも、山脈にある洞窟にも「キュゼラーク来る」と雨にも消えない絵の具を使って書き残したのです。

そして彼は発見される前の古代ローマ時代遺跡にも自分の名前を記していたというから、その執念と行動力は尊敬にすら値します。

ウィーンのどこかに、まだ発見されていないキュゼラークのサインがあるのかもしれません。

その他、文豪ゲーテが手を焼いた風来坊、ノーベル賞作家でありながらナチスに協力した罪で裁判にかけられた男の話など、著者が探し出さなければ、歴史の陰に埋もれたままであったであろう、 ちょっといい話が満載されています。

2008/02/19

キャンバスからスクリーンに飛び出た色彩美『フレンチ・カンカン』

現在、澁谷の東急文化村、『ザ・ミュージアム』で開催されている「ルノワール+ルノワール展」は印象派を代表する画家ルノワールと彼の次男で映画監督のジャン・ルノワール、この2人の偉大な表現者に焦点を当てたもの。

鮮やかな色彩と光をキャンバスに閉じ込め、永遠の美を描き出したルノワール。その父から色彩のセンスを受け継ぎ、それを動くフィルムで表現し映画表現の改革者といわれたジャン。

絵画から写真、そして映像へと、表現者たちを取り巻く環境が大きく変化していった19世紀末を挟んで生きた2人の才能の証からは、時代の流れを感じることもできます。

映画史に残る傑作を多く残したジャン・ルノワールですが、その中でも興行的にも最も成功した作品のひとつが、1954年に製作された『フレンチ・カンカン』です。

フレンチ・カンカンといえば、舞台上に並んだ女性ダンサーたちが、軽快な音楽に合わせて足をまっすぐにあげる、独特のスタイルで知られ、日本のショービジネスにも大きな影響を与えました。

この映画はそのフレンチ・カンカンと、この踊りの舞台となった伝説のキャバレー「ムーラン・ルージュ」が誕生するまでの、物語を軸に1890年代のパリを描いた理屈抜きに楽しめるミュージカルコメディです。

「ムーラン・ルージュ」の創設者ジードレルをモデルにした主人公を演じるのはルノワールの幼馴染でもあるジャン・ギャバン。彼に見出され花形ダンサーとなる女性を演じているのは、当時のトップアイドル、フランソワーズ・アルヌールです。彼女は、厳しいレッスンに耐え、ほぼ吹き替えなしにダンスシーンを演じました。

もちろん映画最大の見所は何といっても、ラスト10分のフレンチ・カンカンのシーン。24名のダンサーが、オッフェンバックの「天国と地獄」など、軽快な音楽に合わせてノンストップで踊り続けます。その映像は豪華絢爛そのもの。

24名のダンサーの衣装の色がすべて微妙に異なり、それが画面いっぱいに飛んだり跳ねたりする様は、まるで、画家ルノワールが細かな点で描いた光と色が、そのままスクリーンで踊っているようです。

とにかく、このラスト10分のシーンだけでも見る価値があるので、この週末ぜひご覧になってください。なお文化村のル・シネマでもルノワール作品の上映会を今週金曜日まで開催中ですが、『フレンチ・カンカン』が何回か上映される予定なので、ご興味のある方は、チェックしてみてください。

2008/02/18

写実を超えたリアリティ 『諏訪敦 複眼リアリスト』

その絵を観た瞬間、ガツン!と雷に打たれたような、それでいて、その後から心地よい静けさが身体を包んでくれるような、何とも不思議な展覧会に先週行ってきました。

新宿区大京町の佐藤美術館で開催されている、『諏訪敦 絵画作品展 複眼リアリスト』(24日(日))です。

1967年生まれの諏訪敦さんは、超絶的な描写力で独自のリアリズムを追及する画家。

しかし、諏訪さんが描くリアリズム絵画は、僕らが一般的に思っているような対象をあるがまま、忠実に写し描いた写真のような絵ではありません。それは目に見えたものに余計な加工、主観を加えてはならない、という従来のリアリズム絵画とは明らに異なる表現方法なのです。

新しいリアリズムの可能性を模索し、同時に日本人である自分が油絵を描くことの意味を問い続けた諏訪さんに訪れた大きな転機が、同じ北海道出身で世界的な前衛舞踏家である大野一雄さんとの出会いでした。

1906年生まれの大野さんは、諏訪さんと出会った頃には既に90歳超えていましたが、生涯現役を貫く舞踏家として舞台に立ち続けていたのです。

大野さんを描こうと決めた諏訪さんは、まずその前に大野一雄という一人の人間の全てを知ろうとします。

集められる資料は全て集めて目を通し、大野さんの故郷である函館へ出かけ、既に住所が無くなっていた出生地まで探しました。

大野さんが子供の頃を過ごした場所を歩くことで、諏訪さんは大野さんの人生、あるいは記憶を追体験し、自分を重ね合わさそうとしたのです。

このように単に相手を見るだけでははく、複眼的な情報の取り込みを

行った後、諏訪さんは大野さんの身体をスケッチしはじめます。

そして、ここからがまた困難の連続でした。

普通のモデルならばポーズを決めて、そのまま止まっていることを要求します。しかし、ただそこに立っているだけのように見える大野さんの身体は、実は常に運動し続けていたのです。

舞踏家にとって立つこととは、つまり動き続けることなのだそうです。

諏訪さんは何度も稽古場に足を運んで、その僅かな動きの差を発見し、アトリエに戻って絵を描くという作業を何度も繰り返したといいます。

そして1年後2000年に開催された個展で、諏訪さんは大野さんを描いた

新作を何点か発表し大きな反響をよびました。

現在開催中の個展では初期の習作から最新作まで、写実を超えた写実を目指す画家、諏訪敦さんの足跡をゆっくりと、驚きながら辿ることができます。

♪OTTAVA 1st.Anniversary~ベートーヴェン4大ピアノソナタ~
清水和音 月光・熱情・悲愴・ワルトシュタイン http://eplus.jp/ccp/  (PC&携帯共通)


♪鈴木慶江プロデュース ミモザの日コンサート
笠井音楽事務所 http://ufficio-misicale-kasai.web.infoseek.co.jp/  (PCサイト)

2008/02/15

500年後のモナ・リザの微笑み?

レオナルド・ダヴィンチの「モナ・リザ」のモデルを特定する有力な発見があった、ということは先月お話しました。

「モナ・リザ」のモナはイタリア語で夫人を表すモンナから。そしてリザは、フィレンツェ生まれの女性で、フランチェスコ・デル・ジョコンドという人の夫人だったリーザ・ゲラルディーニの名前から取ったものだという説が有力でした。

しかし、モデルをめぐってはその他にも、人妻ではなく未亡人という説や若い未婚の女性説、ダヴィンチ本人説など、諸説が飛び交っていたのです。

先月、ドイツのハイデルベルク大学図書館が発表したところによると、ダヴィンチの知人だったフィレンツェの役人、アゴスティノ・ベスプッチが150310月、当時の書籍の余白部分に、「ジョコンドの妻の肖像画など計3つの絵画をダヴィンチが製作中」と書き込んでいるのを図書館が発見したそうです。

モナ・リザが完成されたのは1504年だと言われているので、時期的にも一致するわけで、モナ・リザのモデルがリーザ・ゲラルディーニであるという従来の説を裏付ける有力な手がかりとなりました。

ところで、その世界一有名なモデル、リーザ・ゲラルディーニから15代目にあたる子孫の女性の写真が、現在発売中の雑誌『クーリエ・ジャポン』に掲載されています。

その記事によれば、その女性は、ナタリア・グイッチャルディーニ・ストロッツィさん30歳。現在、テレビや映画の世界で女優として活躍しています。今回の報道にさぞ驚いているかと思いきや本人はいたってクール。「大騒ぎするほどのことではありませんね。一族に有名人が一人増えたってだけのことですから」とコメントしています。

それもそのはずで、イギリスの元首相チャーチルも彼女の一族だし、遡ればかつてフィレンツェを支配したメディチ家のライバル、ストロッツィ家にも連なるのが彼女の家柄なんだそうです。

そんな彼女の微笑みは、モナ・リザのようなのかどうか。興味ある方は『クーリエ・ジャポン』3月号の15ページをご覧になってください。

2008/02/14

短編映画専門の常設映画館「ブリリア ショートショート シアター」

小説には長編小説、中篇小説、そして短編小説というしっかりとしたジャンルが確立されています。例えば、星新一さんや、阿刀田高さんらは、短編小説の名人として多くのファンを獲得しています。

映画はどうかといえば、イタリアやフランス映画は90分前後の作品もありますが、多くの作品は2時間近い上映時間のものが多いようです。現在上映中の『ラスト・コーション』は158分、約2時間40分。よほど覚悟が無いと映画館に足を運びづらいという人も多いのでは。

そう言えば、3時間を越える作品も珍しくなかった黒澤明監督は、長すぎるからフィルムを切ってくれと配給会社から注文を受けたとき「切れるものなら、縦に切ってみろ!」と激怒したというエピソードも残されています。

そのいっぽう、長くても30分、短いものはわずか1分という短編映画、ショートフィルムですが、こちらの方は日本ではあまり観る機会がありません。もちろん特別上映会やフェスティバルは開催され、多くのファンが集まりますが一般の方が気軽に観られる訳ではないです。しかし、映像文化の先進国アメリカや、ショートフィルムの歴史の長いヨーロッパでは、通常の映画とは区別され、映像表現のジャンルとして確立しています。

ジョージ・ルーカス、フランシス・コッポラ、スティーブン・スピルバーグ、スタンリー・キューブリック、リュック・ベッソンetc…ハリウッドメジャーともいえる映像監督も、その多くがショートフィルムからスタートするのです。

日本でも、最近は通常の長編映画にはない強いメッセージ性が特徴となり、次世代を担うビジュアルコンテンツとして短編映画が注目を集めています。

そしてこの短編映画専門の常設映画館、「ブリリア ショートショート シアター」が今日2月14日、横浜みなとみらいにオープンしました。

日本映画界の巨匠、市川崑さんがお亡くなりになった翌日にスタートする日本映画の新しい試み。期待したいですね。

「ブリリア ショートショート シアター」

www.brillia-sst.jp  (pcサイト)

2008/02/13

色々話題なスイスのアート界

今月10日、スイス・チューリッヒにある美術館『ビューレル・コレクション』から史上最高額ともなる最大規模の盗難事件がありました。スイスでは最近もピカソの絵が盗まれましたよね。 

そんなスイスに拠点を置く金融機関UBSが所有する現代美術コレクションは、1950年代以降のアメリカ、ヨーロッパの絵画と1990年代以降のヨーロッパを中心とした写真作品を中核に、近年はアジアや中南米の作品にも視野を広げ、よりグローバルな企業コレクションとして拡大しつつあります。

このUBSアートコレクションの特徴のひとつは、それらの恐らくとても高価な作品が世界50カ国にあるUBSのオフィスに実際に飾られているということ。

コレクションは倉庫に保管されているのではなく、その約8割が展覧会やオフィスに飾られるため世界中を旅している訳ですね。

例えば、これまでUBSのアートコレクションは、ニューヨーク近代美術(MoMA)やロンドンのテート・モダンなど世界トップクラスの美術館で紹介されてきました。

そしていよいよ日本でも実際に見ることができるようになったのです。それが、現在、六本木ヒルズにある森美術館で開催されている、「アートは心のためにある:UBSアートコレクションより」と題された展覧会。

UBSが所蔵する1000点を超える現代アートのコレクションから選ばれた絵画、写真、線画、彫刻あるいはビデオ作品など約140点の作品が紹介されます。

今回の展覧会ではオフィスという日常の場でアートが身近に存在し、自ずと長い時間作品と向き合う日常が生まれるという、UBSのオフィス環境を美術館に取り入れるため、ギャラリースペースをワークスペースに見立てたユニークな展示空間となっています。

ウォーホル、リキテンスタイン、バスキア、リヒター、グルスキー、あるいは荒木経惟、森村泰昌、杉本博司、など世界有数のアーティスト60人による140作品に囲まれ、見て、感じて、想像するためのワークスペースを歩いてみてください。

♪OTTAVA 1st.Anniversary~ベートーヴェン4大ピアノソナタ~
清水和音 月光・熱情・悲愴・ワルトシュタイン http://eplus.jp/ccp/  (PC&携帯共通)
 

2008/02/12

イタリア・ヴェネツィア派の巨匠、ティツィアーノ・ヴェチェッリオ

今日は、イタリア・ヴェネツィア絵画を代表する画家、ティツィアーノの話。

そして、彼の代表作『うさぎの聖母』が展示されている「ルーヴル・DNP ミュージアムラボ」ついて、

そのユニークな展示の試みなどを含めてご紹介してみます。

☆ルーヴル‐DNPミュージアムラボ  http://museumlab.jp  (PCサイト)

2008/02/11

今日は音楽家の話を

今日は休日ということもあり、最近僕が気になっている作曲家のお話をいくつかしていきたいと思います。シューベルト、ラヴェル、ラフマニノフetc.

そういえばラフマニノフを主人公にした映画がゴールデンウィークに公開されるようですね。

2008/02/08

ロングライフな価値観について考える

今日はロングライフ、という生き方について話してみたいと思います。

大量に生産し、大量に消費するフロー型から価値のある資産を長く、大切に使っていくストック型の社会への転換期といわれる日本、そして先進国。

ロングライフというキーワードは環境問題とも結びつく重要な指針です。とは言え、難しい話は苦手なので、クラシック番組らしくピアノの価値についての話から始めてみたいと思います。ピアノといえば、ドイツ。そしてドイツの建築、デザインに多大な影響を与えたバウハウス。さらに、ドイツと日本の技術力が結集された住宅建材へと話題が広がっていきますのでお楽しみに。

2008/02/07

宮沢賢治が最後に聞た音色『音楽が聞える 詩人たちの楽興のとき』

優れた詩(ポエム)を読んでいると、頭のなかで音楽が鳴っていることがありませんか?

それはクラシックだったり、いつか観た映画の音楽だったり、あるいは旅先で聞いた、もう二度と会うことも無い人の声だったりもします。

シューベルトがゲーテの詩にメロディを乗せ、シラーの詩がベートーヴェンに偉大なる交響曲の着想を与えたように、あるいはシンガーソングライターという言葉とメロディを一人で作り出す芸術家がいるように、詩と音楽というのはどこかで繋がっているのかもしれません。

『音楽が聞える 詩人たちの楽興のとき』という本は、文芸評論家でドイツ文学者でもある著者、高橋英夫さんが、萩原朔太郎、宮沢賢治、高村光太郎、中原中也など10人の詩人を取り上げ、その詩と音楽について論じたとても興味深い評論集です。

『詩を書くというのは、言葉を「音楽」として、音楽のように扱うこと』と書いている高橋さん。

事実、この本に登場する詩人たちは、音楽を愛し、音楽が創作活動に少なからぬ影響を与えた人々です。

なかでも宮沢賢治はクラシック音楽をこよなく愛しました。彼はチエロやオルガンを演奏し、地元の若者を集めて、当時はまだ珍しかったSP盤でのレコード鑑賞会を開いたりもしていました。

賢治はベートーヴェンのピアノ協奏曲5番「皇帝」を聴くと、眼の色を変えて飛び上がり「怖い怖い」と叫んだそうです。そして彼の身体からは霊的な雰囲気が漂い出た、という研究者の文章も紹介されています。

なお、賢治は37歳という若さで亡くなっていますが、寝たきりになってからもずっとレコードをかけていたそう。

しかし、当時の蓄音機は音の調節ができなかったので、音が出てくるラッパの部分に毛布を詰め、蚊の鳴くような弱く静かな音を流していたそうです。

本日参考にさせて頂いた図書

『音楽が聞える 詩人たちの楽興のとき』 高橋英夫=著 筑摩書房

☆カンバラクニエ www.kuniekai.com   (PCサイト)

2008/02/06

生きることを伝える瞬き『潜水服は蝶の夢を見る』

ある日突然、身体の自由を奪われてしまったら。そして、頭脳と精神だけは昔のままであったとしたのなら、人は何を考え、どんな行動を起こすのでしょうか。

あまり考えたくもない、不幸な出来事に見舞われてしまった時、それでも人は自分の生きた証を残したいと思い、意思の強い人はそれを実行するのだと思います。

そんなことを教えてくれたのが、『潜水服は蝶の夢を見る』という1冊の本でした。

著者は高級ファッション雑誌『エル』の本家本元、フランス版の編集長だったジャン=ドミニック・ボービー。

1995年の年末、43歳と働き盛りだった彼に突然の不幸が訪れます。脳梗塞で倒れ、ロックトイン・シンドローム、日本語に訳すと“閉じ込め症候群”という病気になってしまったのです。

身体の自由を奪われ、自分の唾を飲み込むことも、自力で呼吸することもできない。もちろん話すことも、声を出すこともできない状態となってしまいます。

でも、精神と頭脳だけは昔のように明晰なまま。つまり身体は潜水服を着ているかのように重くて、それだからこそ、心は蝶のように軽々と空を舞い、思いを巡らせます。

そんな状況に陥った著者が唯一、人とコミュニケーションを取れる自分の思いを伝えられる方法が、唯一自由になる左目の瞬きでした。

AからZまで、26のアルファベットをフランス語で使われる頻度順に並べてみると、一番使われるのはEという文字。以下、S・A・Rと続いて、一番使われないのはW。

このアルファベットの文字盤から瞬きで単語を選び、彼は人生最後の言葉を紡いでいきます。相手に一文字ずつ単語を指差してもらい、一度の瞬きなら『はい』、二度の瞬きなら『いいえ』。

さらに自分で何か伝えたいときには、相手が次々と指差していく、アルファベットに瞬きで応えて文章を作っていきました。

こうして瞬きを繰り返すこと20万回。彼は瞬きだけで自分の思いを言葉にし、その本が出版された2日後に短すぎる人生を終えています。

そして残された1冊の本『潜水服は蝶の夢を見る』。ここには絶望的な自分の状況を受け入れ、それでも生きることに前向きであろうとする一人の人間の、しなやかで強靭、そして繊細で鋭い観察と思考が記録されています。

自分のささいな不幸や運の無さを嘆くより、まず生きることに対して前向きになる、その大切さを教えてくれる珠玉の名作でした。近く映画も公開されます。

本日参考にさせて頂いた図書

『潜水服は蝶の夢を見る』

ジャン=ドミニック・ボービー=著 河野万里子=訳 講談社

2008/02/05

呪われたピアノを巡る物語『トロイメライ』

トロイメライとはドイツ語で“夢”を意味する言葉。そして、クラシック音楽の好きな方なら、シューマンのピアノ曲を思い出されると思います。

でも、この漫画にはシューマンは登場しません。一台の呪われたピアノを巡る物語です。

ピアノというのはそもそも、1709年に誕生したと言われています。イタリア人のクリストフォリという人がチエンバロのボディに弦を打って音を出すカラクリを取り付けたのがピアノの誕生だったのです。

このピアノの誕生から100年ほど後、1811年に生まれたのが、天才的ピアニストで作曲家のフランツ・リストでした。

超絶技巧と力強い音色で知られるリストですが、その激しい演奏のため何台ものピアノを壊してしまっていました。

「もっと頑丈で壊れないピアノは無いものか」。リストのそんな要望に応えたのが、ベルリンのピアノ製造業者、カール・ベヒシュタインでした。

彼は当時の最新技術を駆使してリストの連打に耐えられるピアノを作り上げました。これが、現代ピアノの夜明けとなったのです。ベヒシュタインのピアノはリストはもちろん、ドビュッシーらに絶賛され一躍、トップブランドとなりました。

そして、それから50年程が流れた20世紀初頭、ベヒシュタインの元でピアノ作りを学んだ2人のドイツ軍人が、アフリカの大地に足を踏み入れたことから、この漫画『トロイメライ』の奇妙な物語が始まります。

ということで、今日は天才、鬼才、島田虎之介の漫画ワールドにご案内します。

本日参考にさせて頂いた図書

『トロイメライ』 島田虎之介=著  青林工藝社

『ラスト・ワルツ』 島田虎之介=著  青林工藝社

2008/02/04

分かり合えないことへの理解、『迷子の警察音楽隊』

先週観た、小さな、そして素敵な映画『迷子の警察音楽隊』は2007年、イスラエルとフランスの合作映画です。監督は、今年35歳になるイスラエル出身のエラン・コリリン。

長編映画としてはデビュー作となったこの作品で、カンヌ映画祭「ある視点」部門で一目惚れ賞を、東京国際映画祭でも最優秀のサクラグランプリを受賞する他、世界各国の映画祭で絶賛され34もの賞に輝いています。いわゆる、鮮烈なデビュー、というところでしょうか。

物語はいたってシンプルです。エジプトの警察音楽隊が、文化交流の演奏旅行で訪れたイスラエルで迷子になり、地元の人々に助けられて一夜を共にし、束の間心を通わせる、その一日を描いたもの。

こう書くと、長い歴史の中で争いあい、文化も言葉も異なるエジプトとイスラエルの市民に奇跡的な夜が訪れて、最後は両国市民の合作、あるいは共演によるシンフォニーでも奏でられる感動的なラストシーンが訪れるのではないか、と勝手に想像して観に行ったのですが、その期待はいい意味で見事に裏切られまた。

この映画には、奇跡も、大どんでん返しもないし、政治的、思想的なメッセージを前面に出しているわけでもありません。

でも、エジプト人が見ず知らずのイスラエル人の家に泊まるという、どう考えても普通ではない、その夜に起きた、世界中のどこの家庭にもありそうな出来事を淡々と追っていっただけのこの映画が、僕はとても好きになりました。

分からない、理解できないという状況に対して前向きになること、無理解であることを理解する努力の大切さについて、この映画は教えてくれるような気がします。

相手が何を考えているか分からないから無関心を装う。相手が機関銃で撃ってきそうだから、その前にミサイルで攻撃してしまおう!という考え方が支配している現代社会に、この映画が問いかける問題はとても重要なことのように思えます。

話はまったく変わりますが、今週発売の『アエラ』の表紙にビックリ。あれって、タイアップ?そうであっても、なくても、いかがなものか?

2008/02/01

ダビデ像が移動する?

今日は、日本とイタリアの文化交流サロン『アッティコ』の協力で、イタリアからの情報をお話ししたいと思います。

芸術の都、フィレンツェにある数々の美術作品のなかでも、圧倒的な存在感を示しているのが、アカデミア美術館にあるダビデ像ですよね。

ダヴィンチ、ラファエロと並ぶルネサンスの天才、ミケランジェロが1504年に完成させたと言われているこのダビデ象は、高さ5メートル17センチの大理石の彫刻。

旧約聖書の登場人物で、古代イスラエルの王ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現している、と言われているこのダビデ像は、常に他国から狙われ続け、戦ってきたフィレンチェのシンボルとも捉えられています。

この、ダビデ像をアカデミア美術館から移動させようではないか、と、トスカーナ州の文化担当官が提案したことで、美術界の著名人たちを巻き込み、論争となっています。

このダビデ像をひと目見ようとアカデミア美術館を訪れる人の数は年間130万人と言われていますが、街の中心部が小さく、観光スポットが狭い範囲に集中するフィレンツェの観光客対応策として提案されたのが、このダビデ像の移動です。

現在、フィレンツェでは街の中心部からやや外れる旧レオポルド駅をあらたな文化芸術のスポットとして開発しており、2011年に完成する予定ですが、そこにダビデ像を移動させることにより、旅行客の動きを中心街の外に広げようというわけです。

ロシアや中国などの新興国や、ヨーロッパ内の格安航空券が増え、東欧からの旅行者が多くなったことで、益々、観光客が増えているフィレンツェ。

観光が重要な街の収入源であるフィレンツェがこのままではいずれパンクする、との危機感からこのような提案が出されたとのこと。

しかし、このダビデ像移動の提案には美術界だけでなく、フィレンツェ市民の60%が反対しているようで、これからどうなるのか、誰も予測できないようです。

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清水清

 テニス専門誌や幻の名雑誌といわれた『バッカス』の編集を経て、『エスクァイア』日本版編集部に。4年間を副編集長、5年間を編集長として在籍し、イタリアのスローフードやバリ、日本のBAR、沖縄、アートなど自分の趣味をそのまま誌面に反映させた特集に従事する。 『エスクァイア』退職後、4ヶ月間の石垣島生活を経て、現在に至る。座右の銘は「漂えど沈まず」。

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