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2007/09/24

黄熱病の研究に命を捧げたキューバ人医師

本日はキューバについていくつかお話ししてみたいと思っています。

キューバが誇るものが三つあるそうで、それは

「治安の良さ、教育レベルの高さ、そして医療制度の充実」なんだそうです。

ところで、この国の医療問題を語るとき、自らの命を賭けて伝染病の原因究明に挑んだ、一人のキューバ人医師のことを忘れることはできません。彼の名前はジェシー・ラジア。

1900年当時、キューバでは黄熱病が猛威をふるっていました。

たとえば、1898年、キューバではアメリカ軍とスペイン軍の戦争がとき、100日間の戦いで戦死したアメリカ兵が700人だったのに対し、黄熱病を含む熱帯病で死亡した兵士は1500人にも及んだのです。

また当時はパナマ運河の建設中でしたが、熱帯病の蔓延により多くの労働者が倒れたため、

この工事は27年間も中断されていたのです。

しかし、当時はまだ黄熱病がどのようにして人に感染するのか、その原因が解明されておらず、

この恐ろしい病気に対して打つ手がありませんでした。医師としてこの病気の研究を行っていたジェシー・ラジアは蚊が媒介となって黄熱病を広げるのではないか、という確信を得るのですが、それを証明する必要がありました。

そして彼は黄熱病の感染経路を解明するため、病原菌に感染した蚊に自ら進んで刺されたのです。

それは1900年、9月13日のことでした。そして約2週間後の9月25日、彼は熱に浮かされて錯乱状態

になったあと息を引き取ります。34歳の若さでした。

死に向かうその2週間の間、彼は恐怖と戦いながら、自分の体調の変化などを克明にメモにして残しました。

彼の死後、仲間の意志たちはラジアの死を無駄にしないよう、『キャンプ・ラジア』とよばれる黄熱病の研究所を作り、やがてこの病気の原因が蚊であることを正式に解明しました。

本日参考にさせて頂いた図書

『自分の体で実験したい』 レスリー・デンディ+メル・ボーリング著 梶山あゆみ訳 紀伊國屋書店

♪OTTAVA開局記念 あの名曲シリーズvol.3 惑星・展覧会・威風堂&新日本フィルハーモニー交響楽団 

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清水清

 テニス専門誌や幻の名雑誌といわれた『バッカス』の編集を経て、『エスクァイア』日本版編集部に。4年間を副編集長、5年間を編集長として在籍し、イタリアのスローフードやバリ、日本のBAR、沖縄、アートなど自分の趣味をそのまま誌面に反映させた特集に従事する。 『エスクァイア』退職後、4ヶ月間の石垣島生活を経て、現在に至る。座右の銘は「漂えど沈まず」。

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