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2007年7月

2007/07/31

ブレッソンとキャパ、落第が縁で出会う?

カルティエ・ブレッソンはロバート・キャパと共に、マグナムを設立したことはよく知られています。

一説によれば、ブレッソンとキャパが出会ったのは、マグナム創設の10年ほど前、1936年のこと。

ある新聞社のカメラマンの試験を受けて落第した2人がパリの酒場で

試験管の人を見る目のなさ、無能さをののしりながら、りんごのブランデー、カルヴァドスを飲んだが付き合いの始まりとされています。

後にブレッソンは『キャパに出会うまで写真家と深く付き合ったことはなかった』と語っているほど、キャパはブレッソンに大きな影響を与えたのです。

しかし、二人は生涯を通じて友人ではあったけれど、写真家としては水と油くらいの違いがあったのも事実。

ブレッソンを説得してマグナムに参加させるのにキャパはかなり苦労したそうです。

ブレッソンは断片的な瞬間のうちに、有機的な調和と秩序を備えた写真を求めたのに対し、キャパは「真実にまさる写真、宣伝はなし」を信条にしていた。

シュルレアリスムを学び、現実のなかに潜む思いがけない美や驚きを写真に収めようとしたブレッソン。

戦争という悲惨な現実をありのまま表現しようとしたキャパ。

二人はマグナム内部で対立するふたつの陣営を代表することになり、

そこに端をはっする芸術対報道の戦いは今日まで受け継がれています。

本日参考にさせて頂いた図書

『語る芸術家たち』 マイケル・キメルマン著 木下哲夫訳 淡交社

『マグナム』 ラッセル・ミラー著 木下哲夫訳 白水社

2007/07/30

『ウナギはミミズから生まれる』と哲学者は語った

今日は土用の丑の日、ウナギの日ですね。ウナギは日本、イギリス、地中海沿岸など世界各地で古くからポピュラーな食材として愛されてきました。

古代エジプト人はウナギをある種の神様とみなしていました。彼らはウナギを池に住まわせ、毎日チーズと動物の臓物を餌として食べさせていたという記録が残っています。

もっとも、これほど親しまれているのも関わらず、ウナギほどその生態が謎に包まれている生物も珍しく、

いまだに養殖ウナギを産卵させることは出来ないといわれています。

ウナギについて初めて解説を試みたのは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスです。

彼は著書『動物誌』のなかで、ウナギが海水と淡水の両方で暮らせること、サケなどの回遊魚と逆で、海で生まれ川にやってくることを指摘しています。

と、ここまではさすがにアリストテレス。正しい指摘だそうです。

しかし、ここから彼はとんでもない間違いをしてしまいます。

彼はウナギには生殖器がないので、交尾によって生まれるのではない。泥から自然発生するのだ、と指摘しているのです。

さらに、ウナギは湿った土地や泥の中にいる、“大地のはらわた”と呼ばれているミミズから生まれると書いています。

ミミズとウナギ、どこか似ているような気もしますが、そんなこと言われると、ちょっと食欲をなくしますよね。

ウナギがどのように生まれるのかについては、その後も似たり寄ったりの間違った説が多かったようで、

たとえばアリストテレスから300年ほどたった紀元前60年頃の学者は、ウナギが岩に身をこすりつけると、削れた皮膚のかけらからウナギが生まれると説明。

その後もウナギがお互いに身体をこすりあわせるとぬるぬるする粘液が出来来て、その液から子供が生まれるなどど、珍説も登場していたのです。

本日参考にさせて頂いた図書

『ウナギの不思議』 リチャード・シュヴァイド著 梶山あゆみ訳 日本経済新聞社

『語る芸術家たち』 マイケル・キメルマン著 木下哲夫訳 淡交社

『マグナム』 ラッセル・ミラー著 木下哲夫訳 白水社

2007/07/27

「僕の葬儀にはドビュッシーを」、とブレッソンは頼んだ。

アンリ・カルティエ・ブレッソンは1908年、ノルマンディー地方で手広く繊維業を営む裕福な家に長男として生まれました。

家業は繁栄を極め、フランス中を探してもカルティエ・ブレッソン印の毛糸の入っていない編み物籠はひとつもないと言われたそうです。

彼は芸術好きな父親の影響で若い頃から、フロイト、ジョイス、ランボー、ショーペンハウアーの著作に親しむ読書家でした。

家業を継ぐことを拒否し、芸術家として生きる道を選んだブレッソンは、1930年頃アフリカへ狩、狩猟に出かけます。

“銃を撃つ”と、“写真を撮る”、の両方を意味するシュートという言葉は彼の写真を理解する上で重要なキーワードなんです。

絵を描くことも好きだった彼は後に

「写真とは息をこらし一瞬を捉えるために自分の才能を集中することだ。

その瞬間こそ、肉体的および知的な喜びとなる」と語っています。

また、彼のインタビュー映像を見ると、シャッターを押す瞬間を表すのに、引き金を引くような仕草をしているんです。

ところで、このアフリカで彼は黒水熱(マラリア)にかかり寝込んでしまうことに。ブレッソンの証言によると祈祷師がこん睡状態から呼び戻してくれたそう。

彼はまだ熱が下がりきらない、おそらく意識も朦朧としたなかで実家に手紙を送り、自分の葬儀にはドビュッシーの弦楽四重奏曲を奏でるよう頼んでいます。

さて、九死に一生を得たブレッソンは病気療養のためマルセイユを訪れますが、そこで彼の人生を変えた、写真の歴史を変えた1台のカメラと出会います。その話はまた来週。

本日参考にさせて頂いた図書

『語る芸術家たち』 マイケル・キメルマン著 木下哲夫訳 淡交社

『マグナム』 ラッセル・ミラー著 木下哲夫訳 白水社

2007/07/26

モデュロールの基準は英国紳士

ル・コルビュジエの仕事を紹介する文章には必ずモデュロールという言葉がでてきます。

これは人体の寸法と黄金比から作った建造物の基準寸法の数列。

ル・コルビュジエは、レオナルド・ダ・ヴィンチの「人体図」などから、人体における数学的な比率を見出だし、

それを建造物の機能の向上のために利用しました。

基本的には、人が立って片手を挙げた時の指先までの高さ(「ヨーロッパ型」の場合226cmとされる)を

黄金比で割り込んで行く、という方式です。

地球の子午線の長さを基準にしたメートル法ではなく、人間の身体を基準に建築は作られるべき、と考えたんですね。

日本でも、丹下健三が日本版のモデュロールを作成しています。

ル・コルビュジエは初め、当時のフランス人の平均身長175センチを基準に考えようとしていた。

しかし、なにかと不都合が多く、イギリス人の平均身長183センチ 六フィートを基準としたのです。

われわれ日本人にはやや大きすぎるような気もしますが、ル・コルビュジエは極端な話 「大は小を兼ねる」と言い切っています。

モデュロールで大切なのは大きさではなく 縦と横 床と壁の高さの美しい比率にあるんですね。

しかし、ル・コルビュジエの考えたモデュロールの寸法が世界基準になることはありませんでした。

その一つの原因がモデュロールに即して作られた建築物が実際には窮屈で息苦しく感じられる からというもの。

美しさと快適さは 同居しないのでしょうか。

なお、カップマルタンの休暇小屋もモデュロールに即して作られています。

原寸大で再現されていますので、実際に入って どんな印象を受けるのか体験してみてください。

本日、参考にさせていただいた資料

『再発見/ル・コルビュジエの絵画と建築』 林 美佐 彰国社

『美術手帳』 2007年6月号 美術出版社

2007/07/25

ル・コルビュジエはペンネームです

現在、六本木の森美術館ではル・コルビュジエの大規模な企画展が開催されています。

彼の本名は、シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ。1887年、10月6日、スイスのフランス国境に近い、ラ・ショー・ド・フォンに生まれました。

1887年といえば、ロシアでは画家シャガールが生まれ、中国では蒋介石が誕生した年です。

ラ・ショー・ド・フォン。この小さな町は、古の時代から、多くの革命家や亡命者、あるいは宗教的異端者たちの避難所であり、その末裔だと言っている住民も多い。

コルビュジエも自分の祖先は南フランスに住んでいたが、17世紀に起こった宗教戦争の際、スイスに逃れてきたのだと語っています。

彼の父親は時計職人、母はピアノの教師でした。

話は少し飛んで、1920年のパリ。

第一次大戦も終り、世界中から才能と野心に溢れる芸術家たちが集まり、エコールド・パリと呼ばれる華やかな時代を謳歌していた頃。

コルビュジエもパリにいました。彼は仲間と自分たちの思想と作品を世の中に広めるため『レスプリ・ヌーボー』(新精神)と呼ばれる雑誌を創刊させます。

5年間で28冊が出版されたこの『レスプリ・ヌーボー』は、絵画、音楽、映画、建築、あるいは評論、詩まであらゆるジャンルを取り上げた、総合芸術誌です。

ジャン・コクトーやアンドレ・ブルトンなども原稿を書いていました。

当然、コルビュジエ自身も原稿を掲載していますが、その際にペンネームを使うことになったのです。

そのとき、彼はフランス南部からスイスに来て、当時すでに家系が途絶えていたルコルベジエという親戚があるいたことを思い出し、その名前を復興させようとしたのです。

さらに、彼の顔が、顔がカラス(フランス語でコルブ)に似ていることから、省略して“コルブ”と呼ばれるようになったのです。

2007/07/24

似ていて当然! 『羅生門』のボレロ

今日、7月24日は作家、芥川龍之介の命日ですね。

ヴェネツィア映画祭でグランプリを獲得した黒澤明監督の映画『羅生門』は芥川の

小説『藪の中』と『羅生門』をベースにしています。

黒澤明はクラシック音楽をことのほか愛した監督として知られ、

作曲家に映画音楽を依頼する際、「こんな感じの曲を作ってくれ」と自分の好きなレコードを渡したそうです。

当然、渡された作曲家としてはプライドを傷つけられるわけで、黒澤と作曲家はよく諍いを起こします。

黒澤映画の音楽を担当した作曲家は時代によって何人かいますが、最も有名なのが早坂文雄ではないでしょうか。

このコンビで、『酔いどれ天使』 『生きる』 『七人の侍』など映画史に残る傑作を生み出しています。

この2人の映画で、クラシック音楽が最も重要な役割を果たしていたのが、『羅生門』ではないでしょうか。

平安時代 ある殺人事件の当事者として4人の登場人物がまったく異なる証言をするというこの映画では

4人が語るエピソードごとに、音楽が変わっていきシーンを盛り上げています。

なかでも印象的なのが、京マチコが語るシーンに流れるボレロのメロディです。

ボレロとは4分の3拍子のリズムをもったスペインの舞踏音楽。

何故、この静かなシーンにボレロを選んだのかについて黒澤は「陶酔感が欲しかったから」という意味のことを後に語っています。

でも、ボレロといえば、ラヴェルのボレロが有名。実際、早坂の曲も、ラヴェルのボレロとあまりにも似ていたため、

『羅生門』が海外で上映された際には各国で議論を呼び、フランスのラヴェルの楽譜の出版元からは 

剽窃(ひょうせつ)、つまり盗作ではないかとの講義の手紙が届けられたほどです。

結局、似てはいるが早坂のオリジナルであると主張して一件落着しています。

もっとも似るのは当然で、黒澤がこのシーンの脚本を書いているときにはラヴェルのメロディが頭のなかで鳴っていて、

先ほどお話したように黒澤は早坂にラヴェルのレコードを出して「こんな曲を作ってくれ!」

と指示したそうです。

本日参考にさせて頂いた図書

『黒澤明と早坂文雄』 西村雄一郎 筑摩書房

『映画でクラシック』 西村雄一郎 新潮社

『恋の手紙 愛の手紙』 半藤一利 文春新書

2007/07/23

負ける建築が心地いい。サントリー美術館

サントリー美術館の開館は1961年。当時の社長・佐治敬三氏が「生活の中の美」を基本テーマとして、

千代田区丸の内のパレスビル内にオープンさせました。1975年に赤坂のサントリービルに移転し、今回、

2年余りの休館を経て、六本木ミッドタウンに満を持してのオープンとなりました。

サントリー美術館の特徴は、これまで日本の美術館ではあまり扱われてこなかった漆工芸品、陶磁器、ガラス、染織物、食器などの工芸品の展示に力を入れ、日本の美術館のあり方を変えたこと。

美術館は木と和紙、そしてサントリーならではの樽材と白磁をふんだんに使い、日本ならではの格子や明りの変化や季節の移ろいを存分にいかす建築様式になっています。

日本の伝統的な意匠と、現代の建築テクノロジーを融合した「和モダン」のたたずまいは、その広すぎず、狭すぎずの大きさもあってなんとも居心地のいい、この美術館。世界的に評価の高い建築家・隈研吾氏が設計した。

隈研吾氏は 都市の中の「居間」として、この美術館建築を構想したと語っています。

通信と移動のテクノロジーが、都市全体を一つの大きな家の「室内」へと変貌させつつあるなか、その大きな都市、家の中には廊下はたくさんあるし、食堂もたくさんあるが、ゆったりとくつろげる「居間」はない。

時間がゆっくりと流れ、人と人、人と物との間で、くつろいだ会話が成立するような「居間」となって欲しいという想いで、図面をひいたと語っています。

建築が雄弁(詭弁)だった時代が終わり、新たな建築美が生まれようとしている時代を感じさせてくれる名建築です。

2007/07/20

カルティエ・ブレッソンを激怒させたマーティン・パー

現在、恵比寿の東京都写真美術館で個展が開催されているマーティン・パーは、

マグナムのメンバーであり、少なくともビジネスという面では、最も成功した会員の一人だと言えます。

しかし、厳しい審査が必要なマグナムへの加入を許された写真家の中で、マーティン・パーほど入会の際に物議を醸した写真家はいません。

確かに、ロバート・キャパに代表される報道カメラマンの集団と言うマグナムのイメージから、

マーティン・パーは、その写真も人物像もかけ離れています。

彼が、何とかマグナムの会員となった翌年の95年、世界各地の観光をテーマにしたマーティン・パー

らしい写真展がパリで開催されました。

この写真展を見に来たカルティエ・ブレッソンは、この写真を撮った人物がマグナムの会員であると知らされ愕然とします。

マグナムの創設メンバーであり、マグナムはもちろん世界中のカメラマンに影響力をもっていたカルティエ・ブレッソンも当時は87歳。

マグナムからも写真からも一線を引いていました。マーティン・パーのマグナム入会をめぐる騒動も知らなかったのでしょう。

心の動揺を抑えながら写真会場を早足で見て回った後、マーティン・パーに紹介されたカルティエ・ブレッソンは、しばらく険しい眼差しを向けた後、

「わたしにはきみが異星人としか思えんよ」とひと言。

そばにいた人が「つまり写真がお気に召さないということでしょうか?」と質問すると、ブレッソンは怒りに身体を震わせながら

「わたしにおなじことを二度言わせるな!」と叫び、憤然としてその場を立ち去ったそうです。

なぜ、カルティエ・ブレッソンは怒ったのでしょうか?

なぜ、マーティン・パーの写真は物議を醸すのでしょうか?

偶然なのか、現在、竹橋にある国立近代美術館では、カルティエ・ブレッソンの写真展も開催されています。

二つの写真展を観て、その答えを模索してみてはいかがでしょうか。

本日参考にさせて頂いた図書

『マグナム』 ラッセル・ミラー著 木下哲夫訳 白水社

2007/07/19

フードマイレージって何?

フードマイレージとは、生産地から食卓までのエネルギーの消費量を示す指標。

つまり、輸入食糧の総重量と輸送距離を掛け合わせたもので、トン・キロメートルという単位で表します。

食料の生産地から食卓までの距離が長いほど、輸送にかかる燃料や二酸化炭素の排出量が多くなるため、フードマイレージの高い国ほど、食料の消費が環境に対して大きな負荷を与えていることになります。

このフードマイレージという概念は、1994年にイギリスの消費者運動家ティム・ラング氏が提唱したといわれる考え方。

もともとは、フードマイルズですが、日本人に馴染みのマイレージという言葉に置き換えています。

この考え方が日本に導入された2001年の統計によると、フードマイレージが最も高い国は、やっぱり日本。

その数字は9,000億トン・キロメートル。2位は韓国、3位がアメリカで3000億トン・キロメートル。

フードマイレージに関する限り、日本はアメリカの3倍、そして国民一人当たりにならすと、

なんと7倍も環境に優しくない、ということになるのです。

もちろん、環境への負荷をフードマイレージだけで計測することは危険ですが、それについては番組でお話しします。

本日参考にさせて頂いた図書

『クーリエ・ジャポン』(講談社) 8月号

『スローフードな日本!』 島村菜津 新潮社

『食べる西洋美術史』 宮下規久朗  光文社新書

2007/07/18

「建築は時代の意思である」のか?

六本木にある国立新美術館では現在、

「スキン+ボーンズ 1980年代以降の建築とファッション」を開催中です。

建築とファッションは、人類の誕生以来、人間の身体を守るシェルターとしての本質を共有しています。

また両者は社会的・個人的、あるいは文化的なアイデンティティの表現としての役割を担ってきました。

しかし、あまりにもかけ離れた存在であることから、建築とファッションが同じテーマで一度に語られることはなかったのです。

80年代以降の建築とファッションの共通点に注目したこの企画展では、現在最先端で活躍している建築家が手がけたプロジェクトの模型、写真、イメージや、ファッションデザイナーの実際の作品230点余りが展示されています。

会場では衣服と建物の役割、空間の作り方、発想やアイディア、さまざまなテーマからこの2つの分野の類似性、

そしてお互いが刺激しあっている実態が比較されています。

三宅一生と伊東豊雄、コムデギャルソンとフランク・ゲーリー、

ジャンルは異なっても時代に残る名作が同じ空間に並べられ、じっくり観察することができる展示となっています。

この両者が近年特に接近するようになった背景には、コンピューターをはじめとする技術革新があります。

これにより建築家は自由な造形を表現することが可能になり、表面と構造の関係に大きな変化をもたらしのです。

その意味では建築がファッションに接近してきたとも言えます。

しかし、建築もファッションもシンプルが一番だと考えている僕には、やや疲れる企画展でもありました。

「建築は時代の意思である」と言ったのはミース・ファン・デル・ローエ。

彼がどれほどの長さを考えて“時代”という言葉を捉えていたのか、僕には分かりません。

しかし、基本的には永遠に存在することを願って建てられる建築と、1年後には時代遅れとなってしまうファッションとが、

表現方法において接近していくことには、どんな問題、意味が隠されているのでしょうか?

それは、創造、表現の進化なのか、それともある種の閉塞感、行き詰まりの表れなのか?

建築、ファッションに関わる方、ぜひご覧になって、感想を聞かせていただきたい企画展でした。

本日参考にさせて頂いた図書

『食べる西洋美術史』 宮下規久朗  光文社新書

『クーリエ・ジャポン』(講談社) 8月号

2007/07/17

『ワインと外交』 西川恵(めぐみ) 新潮新書

先週紹介した、『エリゼ宮の食卓』の続編とも言える一冊です。

新聞社の特派員として長年、パリやローマで取材した西川さんが、

大統領、首相など各国のトップクラスの政治家がテーブルを挟んで戦わした外交戦略を、

今までにないユニークな視点、つまりもてなす側が用意したワインと料理から紹介してくれています。

そのなかから、ひとつ興味深いエピソードを紹介しましょう。

ゲストとして迎える外国の首脳の中で、最も難しい国は中国。

これは、先進国の間では一致しているそう認識だそうです。

事前の訪問準備の折衝で、中国はプロトコール(儀典、儀礼)で

さまざまな要求をホスト国に突きつけてくるのがその理由だとか。

体面、メンツにこだわるお国柄が反映されているのでしょうか。

天安門事件以来、中国の首脳は先進国の行く先々で激しいデモに見舞われているので、

このことに神経質になっている、という側面もあります。

胡錦濤(コキントウ)国家主席が2005年11月、ロンドンを訪れたときのこと。

事前の打ち合わせで中国側は、主席が訪問場所から活動家を締め出すように要求します。

しかし、イギリスは賓客に対してはソフトな警備を行うのがロンドンのやり方だと、中国側の要求を却下。

怒った中国側は、イギリスが提案した市内見学、買い物、郊外への遠出、など主席の多くの行事を拒否し、

主席はイギリス滞在期間のほとんどをバッキンガム宮殿で過ごすことになりました。

そして、この外交問題の一番の犠牲者となったのが、エリザベス女王でした。

なぜなら、国賓がバッキンガム宮殿にいる限り、女王は宮殿の外から一歩も離れられない、

というプロトコールがあるからです。

なお、主席を招いての晩餐会は盛大に行われましたが、中国嫌い知られているチャールズ皇太子は

当然ながら出席していません。中国、そして胡錦濤主席のメンツ丸つぶれですよね。

♪エグベルト・ジスモンチ

ブラジルの至宝、奇跡の来日公演決定!!

2007年8月20日(月)@第一生命ホール

2007年7月7日(土)一般発売

チケットぴあ 0570-02-9966(Pコード:263-878)

イープラス http://eee.eplus.co.jp     (PCサイト)

2007/07/16

イタリア人が喜ぶ新幹線のサービスとは?

今日、7月16日は日本で初の駅弁が売り出された日なんだそうです。

旅の楽しみのひとつは食事ですよね。

日本の新幹線から食堂車が消えてjまったのは残念ですが、イタリアの新幹線ユーロスターには、

ほぼ食堂車とバール車両の2つが、連結されています。

バール車両は、カウンターのみで、サンドイッチやパニーノ、スナック菓子などの軽食と

ドリンクを買うことがきます。

食堂車は基本的に予約制ですが、空きがあれば、その場で申し込めば利用可能です。

なお予約は、食事時間の前に、車両を回って聞きにきます。基本的にフルコースです。

プリモを3種類から1つ。セコンドを2種類から1皿選びます。

さらに付け合せ、ドルチェ、果物にコーヒー(エスプレッソ)に、

ミネラルウォーターというのが標準的なメニューです。

ローマに住むアッティコのメンバーが2006年5月に利用した時に食べたメニューは、

リガトーニ・アマトリチャーナ、牛肉のスカロッピーネ、

ポテトのオーブン焼き、チョコレートケーキ、エスプレッソ

以上でサービス料込み26ユーロだったそうです。

ところで、日本の新幹線の場合、女性が車両にやってくる車内販売がありますね。

残念ながら、ユーロスターにはありません。日本にきて、新幹線を利用したイタリア人が、

感激するサービスの一つだそうです。

本日、参考にさせて頂いた図書

『カラヤンとフルトヴェングラー』 中川右介著 幻冬舎新書

『コンクールでお会いしましょう』 中村紘子 中公文庫

2007/07/13

映画『キサラギ』

午前中、渋谷で『キサラギ』という映画を観てきました。

一つの部屋のなかで、限られた登場人物のセリフを中心にドラマが進んでいく、

いわゆる密室劇、ワンシチュエーションのドラマです。

アイドル如月ミキが不可解な自殺を遂げてから1年、彼女のファンサイトで知り合った5人の、

いわゆるオタクたちが、彼女を偲ぶ会を開き、思い出話、お宅ぶり自慢で盛り上がろうとする。

しかし、ある発言が引き金となり、部屋の空気と男たちの表情は一変。

集まったのは単なるアイドルオタクではなく、5人にはそれぞれ隠していた、

アイドルとの関係性があったのです。

自殺なのか、殺されたのか、あるいは事故なのか。

アイドルの死の謎に迫っていくなかで、本当に明らかになっていくのは、

5人の男たちのアイドルとの関係性、そして彼ら自身の正体。

といっても、手に汗握る展開というわけではありません。

脚本を担当した古沢良太(こさわりょうた)も言っているように、

この映画は、あくまでコメディであることにこだわっていて、そこが見ていて心地よい。

もう一つ、この映画の魅力は、5人の俳優たちの確かな演技力とセリフ回し。

なかでも、お笑いコンビ、ドランクドラゴンの塚地武雄(ムガ)から、

役者 塚地ムガに変わる瞬間は、この映画のハイライトだと想います。

僕は、渋谷、パルコパートⅢにあるシネクイントで観ましたが、

この劇場では7月22日(日)、映画鑑賞後にティーチイン(質疑応答)を開催するそうです。

2007/07/12

『エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交』 西川 恵(めぐみ) 新潮社

今日は、『エリゼ宮の食卓 その饗宴と美食外交』(西川恵著 新潮社刊)

という本の話をしてみたいと思います。

エリゼ宮はフランス大統領の官邸であり、国家元首、皇族、大統領、首相など、

他国を代表する人物を 国賓、公賓として迎え華やかな饗宴が繰り広げられる場所。

フランスの美食研究家 ブリア・サヴァランは『食卓にこそ政治の極致がある』と語っていますが、

この本は、新聞社のパリ特派員として、エリゼ宮を取材し続けた著者がみた、

フランスのテーブル外交のレポートです。

著者は書いています。

「政治のキー・ワードは、料理とワインにおいてその姿を現す。

外交儀礼の中で、食卓は政治の深淵をのぞかせる、香り高い場となる」

残念ながらこの本現在、版元でも品切れのよう。

なんとか、復刊させてほしいものです。

2007/07/11

ザリガニも“レイクロブスター”と呼べば美味しそう?

今日はイタリアで開催されるザリガニ祭りのお話をします。

ところで、イタリアではザリガニが減っていますが、日本、なかでも北海道では、

外来のザリガニがふえ過ぎて困っているとか。

1930年にアメリカから食用として摩周湖に導入され、

その後道内各地に持ち出された、ウチダザリガニです。

在来のニホンザリガニや魚を食べてしまうのですが、なかでも阿寒湖での被害が激しく、

漁協は12年前から「厄介もの」として対策に乗り出し、夏場を中心に毎年約4トンを水揚げしていました。

しかしなかなか減らないので、人間が食べて減らそうとしています。

阿寒湖のウチダザリガニは「レイクロブスター」と名付けられ、飲食店などに売り出され、

スープ、天ぷら、カルパッチョ、塩ゆでなどで、レストランで供されているそう。

例えば、高級フレンチの老舗『オテル・ドゥ・ミクニ』では、「阿寒湖・幻特大内田ザリガニ」として

ソース仕立ての料理を提供しています。もともと、ザリガニは仏料理では「エクルビス」と呼ばれる人気食材ですよね。

漁獲、販売をする阿寒湖漁協は「湖水がきれいなので泥臭さが少ない」と宣伝しています。

ウチダザリガニは特定外来生物に指定されているので、個人では生を購入することはできません。

ただ、塩茹でしたものは一般の人でも購入可能。缶入りスープ(500円)も販売しています。

☆日野之彦ホームページ

www.geocities.jp/kolehikohino/(PCサイト)

☆今日紹介した本

色彩の世界地図 21世紀研究会編 文春新書

2007/07/10

ロイズ・アンティーク エゴイスト

アンティーク家具にはもともと定価という概念がなく、交渉次第で割高にも、割安にもなったとか。

このアンティーク家具に初めて定価販売のシステムを導入したのが『ロイズ・アンティーク』です。

1980年代日本に、ヨーロッパのアンティーク家具を始めて本格的に紹介して以来、

常にハイククオリティとハイセンスを併せ持つ商品を提案し続けている『ロイズ・アンティーク』。

なかでも、高級住宅街として知られる、目黒区碑文谷にある店舗は約200坪という広いスペースにアンティークが贅沢にレイアウトされていて、ショップというより、古いヨーロッパの貴族の館に迷い込んだような錯覚を覚える。

この碑文谷店がこだわりをさらに進化させたコンセプトショップ『ロイズ・アンティーク エゴイスト』 として生まれ変わりました。

7つの空間で構成された店内に揃うのは、従来のカテゴリーに属することの無い個性を集めたアンティークの数々。

中世イギリスを想わせるゴシックスタイルの家具やランプ。フランス1900年初頭のアイアンベッド。

1950年代イタリア、ドイツの陶器など、人生を彩る一品を、まさに自分本位、エゴイステックに選ぶことができます。

碑文谷近辺の目黒通り沿いには、ミッドセンチュリー系の家具を扱う店も多いので、

週末にお気に入りの家具を探して、碑文谷近辺を散歩するのもいいですね。

ロイズ・アンティーク エゴイスト

http://egoist.lloyds.co.jp/(pcサイト)

デヴィッド・ヘルフゴット コンサート

http://www.tate.jp/shine.html (PCサイト)

2007/07/09

あんなに速く、強く打ってもサービスなのは?

ウインブルドン男子決勝戦では、第1シードのフェデラー(スイス)が

2シードのナダル(スペイン)をフルセットで破り優勝しました。

史上4人目、1968年のオープン化以降では7680年のボルグ(スウェーデン)に

並ぶ5連覇を遂げたことになります。

それにしても男子のサービスは速いです。特に、ラケットの進化に伴い、ここ20年くらいは、

サービスのスピードが急速に速くなってきたのです。

その結果、人間の目だけではインかアウトを瞬時に判断できなくなったため、

機械によるジャッジを取り入れています。

また、サービス1本だけでポイントが決まってしまうことが多くなり、これでは試合がつまらないと、

セカンドサービスをやめ、サービスは毎回1本のみにする、という新ルールの導入を検討したこともあったそう。

でも、あんなに力強く、相手の打てないところに打っても“サービスする” と表現されるのは、おかしいと思いませんか?

サービスはラテン語の奴隷という意味の(セルボス)が語源。 そこから、人に使える、奉仕するという意味が加わり、しいては神に仕える、ということから礼拝、ことに公の礼拝という意味に用いられるようになりました。

テニスがまだ競技ではなく、貴族の優雅な趣味だった時代。

テニスはまず、そばに仕えていた者が、打ちやすいボールを投げることから始まった。野球で言うトスバッティングのようなものです。

あるいは、まず相手の打ちやすいところにボールを打って“奉仕して”からラリーを始めていたんですね。

そのことから、1球目をサービスというようになったのです。

なお、当時のテニスで大切なのはあくまで相手のうち安いところに優しいボールを打ってあげることが、基本でした。

今日のように、相手のいないところに、強いボールを打つことは貴族にあるまじき、下品な行為と考えられていたのです。

ボレロ・ラフマニノフ・新世界&新日本フィルハーモニー交響楽団  

http://eplus.jp/cc (PCサイト)

Attico企画「アル・ケッチァーノの旅」

日程:8月4日(土)~5日(日)

大人一名 \71,800(税込)

定員:10名様より開催(最大14名様)

締め切り:7月13日(金)

お申し込み・お問い合わせは:旅行開発センターTEL:03-5159-1109

http://www.ctenet.co.jp/tour_alche.html (pcサイト)

2007/07/06

今日はピアノの日

今日、7月6日はピアノの日。

1823年、シーボルトが初めて日本にピアノを持ち込んだことから決められたそうです。

山口県萩市の熊谷美術館にはシーボルトより贈られた日本最古のピアノが展示されているといいます。

ということで、本日は斎藤信哉さんが書かれた 『ピアノはなぜ黒いのか』 (幻冬舎新書)を紹介します。

ヨーロッパでは木目が主流のピアノ。日本ではなぜピアノ=黒(この常識は日本だけらしい)というほど黒いピアノが定着しているのか。その議題を皮切りに、日本でのピアノの普及について、ピアノの構造についてなどわかりやすく解説されている、読みやすい本でした。

ボレロ・ラフマニノフ・新世界&新日本フィルハーモニー交響楽団 

http://eplus.jp/cc (PCサイト)

デヴィッド・ヘルフゴット コンサート 

http://www.tate.jp/shine.html (PCサイト)

2007/07/05

今日はビキニの日

今日7月5日は、ビキニスタイルの日。1946年、昭和21年の7月5日に、世界で最も小さい水着として、

ビキニスタイルの水着が、世界で初めてフランスのルイ・レアールにより、発表されたことに由来するのだとか。

でも、このビキニという名前には、ちょっと複雑な思いがします。

1946年7月1日。オーストラリア大陸の右上に位置する、

マーシャル諸島のビキニ環礁でアメリカの原爆実験が行われました。

その報道の直後、1946年7月5日レアールがその大胆さが周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえ、

ビキニと命名したと言われているのです。

日本では、今年はパレオがついているものが人気なんだそうです。

イタリアのファッション業界のニュースによれば、今年はビキニではなく、

半ワンピース、つまり、ビキニがベースですが、上と下が一部でつながっているタイプが流行のようです。

本日ご紹介した図書

『海の波を見る』 光易恒(みつやす ひさし)  岩波科学ライブラリー

2007/07/04

人類の祖先は泳ぐサルだった?

人間の祖先は泳ぐサルだった、つまりサルが海を泳いでいるうちに立つことを覚え、人間となって

陸に上がったのだという人類水中進化説があります

この説を唱えているのは、イギリスのエイレン・モーガンという女性。

彼女によれば、今から約500万年から200万年前の地球は熱波に襲われ干ばつに見舞われていました。

そして、メスのサルは海を目指したのです。海に入れば、肉食獣が襲ってくることもないし、貝や魚などの食糧もある。

メスは貝を食べるため小石を使うことで道具の発見に至り、やがて水中から顔を出す必要性から自然と直立歩行を覚え、それを見た、オスのサルがあとから真似をした、というのです。

つまり、水によるメスザルの解放こそが、人間の人間たるゆえん。女性の導きにより海辺で人類は誕生したというのです。

人間の体毛が薄いのは水中生活の名残。毛は水中では抵抗となるだけでなく、

水に浸かると空気の層がなくなって保温性もなくなる。

ヒトがもしサバンナの暮らしによって進化したのなら、直射日光を防ぐために体毛はますます必要だったはず。というのが彼女の説です。

その他、エイレン・モーガンの主張は番組のなかでお話ししますが、

現在、この説は異端として、少なくとも学会では重要視されていないことだけはあらかじめ申し上げておきます。

本日、参考にさせていただいた図書

『はい、泳げません』 高橋秀実  新潮社

『女の由来 もう一つの人類進化論』 エイレン・モーガン どうぶつ社

ボレロ・ラフマニノフ・新世界&新日本フィルハーモニー交響楽団

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♪エグベルト・ジスモンチ

ブラジルの至宝、奇跡の来日公演決定!!

2007年8月20日(月)@第一生命ホール

2007年7月7日(土)一般発売

チケットぴあ 0570-02-9966(Pコード:263-878)

イープラス http://eee.eplus.co.jp     (PCサイト)

2007/07/03

シエナの競馬レース、パリオ

昨日、7月2日トスカーナ州のシエナで、世界的に有名なパリオ祭りが開かました。

パリオとは競馬レースのこと。イタリア各地で行われていますが、なかでも有名なのがシエナのものです。

7月2日と、8月16日の年2回開かれています。

7月2日は、シエナに聖母マリアが出現したとされる日で、8月16日は、聖母被昇天祭、

つまり聖母マリアの死後、魂が身体に戻され、天使たちに取り囲まれながら天に召されていった日なんです。

パリオが開かれるのは、シエナ市の中心にある扇型のカンポ広場。

シエナは、全部で17のコントラーダと呼ばれる地区に分かれていますが、

この中からレースに出場できるのは10地区。

地区を代表する騎士たちが裸馬に乗り、広場を3周して争うのです。

シエナのパリオは、騎手がいなくても、最初に3周してゴールした馬のコントラーダが優勝です。

10の地区の選び方ですが、7つは前の年に出場できなかった地区。残り3つは抽選で選ばれます。

出場が決まった地区には、馬が1頭、割り当てられます。

割り当ても抽選。バルベロ (裸馬)と呼ばれ、抽選で決まり、その馬が怪我をしようが、

病気になろうが、変えることは許されません。

ですから、それぞれの地区の馬小屋で住民が寝ずの番をするそう。

またファンティーノと呼ばれる騎手は、本職の騎手を雇います。

しかし、他の地区と示し合わせて不正をしないように、

地区の住民が騎手に24時間、つきっきりになります。

本日、参考にさせていただいた図書

『コンクールでお会いしましょう』 中村紘子 中公文庫

デヴィッド・ヘルフゴット コンサート

http://www.tate.jp/shine.html (PCサイト)

2007/07/02

グーグルのロゴ、七変化

本日発売の雑誌『Pen 』(7月15日号)から、面白い記事を発見しました。

特集タイトルは「ウェブ・クリエイターの仕事」。

世界各国のウェブ・クリエイターたちを紹介しながら、

次の時代の表現を模索している、とても興味深い特集でした。

なかでも面白かったのが、グーグルのロゴに関しての記事です。

グーグルのロゴといえば、アルファベットでGoogle。

このロゴがクリスマスやオリンピック、あるいはミケランジェロやアインシュタイン、フランク・ロイド・ライトなど、

芸術家の誕生日、記念日やイベントのたびに特別仕様に変化することをご存知でしたか。

たとえば、ミケランジェロの記念ロゴでは、グーグルの文字の下に崩れた岩、あるいは大理石が描かれ、

その上にダビデ像が乗っているんです。おそらく『彫刻を山から落とせば必要の無いものは崩れる』

と言ったミケランジェロの言葉からヒントを得たものだと思います。

また、子供の日、753 七夕など、その国ならではの記念日限定のロゴもあるそうです。

これらのロゴをデザインしているのは、グーグルの社員であるデニス・ホワンというまだ20代の若者。

グーグルには勤務時間の20%を本業以外のことに費やす、20%ルールというものがあり、

この時間を利用して彼は年間約50の特別ロゴを製作しているそうです。

profile

清水清

 テニス専門誌や幻の名雑誌といわれた『バッカス』の編集を経て、『エスクァイア』日本版編集部に。4年間を副編集長、5年間を編集長として在籍し、イタリアのスローフードやバリ、日本のBAR、沖縄、アートなど自分の趣味をそのまま誌面に反映させた特集に従事する。 『エスクァイア』退職後、4ヶ月間の石垣島生活を経て、現在に至る。座右の銘は「漂えど沈まず」。

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