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2009年11月

2009/11/30

華麗なる技巧を誇る全盛期?それとも前世紀?

あるものが発明されそれが発展してゆくと、そのものを使った技巧が洗練されてきます。

さしずめ、20世紀少し前に発明され、20世紀をとおして爆発的に発展してきた自動車、今では地球上の誰にとっても身近になってきた自動車のテクニックの花といえばF1レースでしょうか。ご存じのように、国内メーカーはすべて撤退することになりましたが、それだけではなく、自動車自体が排気量やスペックを誇る時代は終わり、エコの号令のもと、新たなる段階に進もうとしています。21世紀入ってまだ10年と経過していませんが、実は20世紀的な自動車文化の変革というのはリーマン・ショックのせいではなく、時代の変化の必然、なのかもしれないと、少し疑ってみます。

というのも、ピアノについてなのですが、これは、自動車よりは約1世紀ほど早く、20世紀にはほぼ既に完成していました。したがって、爆発的に改良され、普及したのは19世紀ということになりますが、この時期に、もちろんピアノ自体も性能の切磋琢磨が起こりますが、それを使っての技巧の探求、こちらも盛んになります。それを先導したのがF1ドライバーならぬヴィルトオーゾという人たち。F1がそうであるように、人とお金の集まるところにヴィルトオーゾも集まってきたりします。

今日は、おそらく史上最大のヴィルトオーゾのひとりであったはずなのに、実に謎の多い人に登場してもらいましょう。

2009/11/27

お風呂の話題

昨日はいい風呂の日、ということで、お風呂でクラシックのようなことを書きましたが、そのとき、何となく、日本のお風呂をほめすぎたかもしれません。温泉を想定すれば、日本の「リラックスする温泉」は世界に誇れる文化で、「どちらかというと病気療養か健康増進」的な医療の臭いが強いヨーロッパの温泉は、どうも今ひとつリラックスできないのは確かなことのようです。

一方、お風呂でOTTAVA・・などと放送中考えていたのですが、日本の一般的な家庭の風呂場というのは、考えたら天井から床まで濡れるように、つまり洗い場の確保が優先されています。ユニットバスでも、「その部屋全体」が濡れても良いように出来ています。すると、音響機器、CDプレーヤーやラジオやましてやインターネットにつないだPCも持ち込むのも難しいですね。携帯電話も、もし落としたことを考えるとむずかしい。

ところが、ヨーロッパの風呂は、普通の水場に風呂桶だけおいてある場合が多いので、コンセントがあったり棚があったり、結構「お風呂でクラシック」が実現しやすい環境であることに気づきました。

微妙な差異ですが、日本のごく普通の家庭のお風呂で皆さんどのような「長期滞在」の工夫をなさっていますでしょうか?

2009/11/26

いい風呂の日

今日は語呂合わせですが、いい風呂の日、です。

お風呂文化、いや、温泉文化は日本の誇るべきものですね。実際フランス人の友人でも、温泉は素晴らしい!という人が沢山います。

西欧は水事情の悪さとキリスト教のそれまでの伝統から、現在でもバスタブの中で入浴を済ますかシャワーで済ますことも多く、私もやっぱり洗い場のある日本のお風呂が懐かしくなります。それだけではなく、大浴場のある日本の温泉場はやっぱりいいものですね。

今日は、お風呂で聴くクラシックを少しセレクトしてみました。

2009/11/25

木と金属と皮と喉と

電気的な増幅手段、伝達手段を一切使わないクラシックの楽器、アコースティック楽器、といったりしますが、100年以上も昔に完成されたものが多いだけに、素材も素朴なものです。

つまり、弦楽器や木管楽器の木。世界最古の建築物も木であることを考えると、コンクリートや金属よりも、ある意味丈夫で長持ちなのかもしれません。ただし、湿度変化に弱く、元が細胞の集まりのため、人が手をかけないと朽ちてしまう、という特徴があります。

金管楽器の金属。鋼鉄のような固い素材ではないのですが、産業革命までは加工技術が未成熟であったので、バルブ・ピストンといわれる機構が出来ず、出せる音が自然倍音のみという非常に限られた楽器でした。それでも、倍音をフルに活用した高音を響かせる楽器として活躍し、ピストン機構が出来てからは、全ての音を均等に出せるようになり、オーケストラの花形として活躍します。

皮。ティンパニなどの表面は、現代では化学合成素材も使われますが、伝統的には動物の皮です。コンディション管理にデリケートさが要求されるのはほかの楽器と同じです。しかし、打楽器は大きいものが多く、運搬も大変で、専門の人員がいるプロのオーケストラなら別ですが、なかなか良いコンディションで保存するのに苦労します。

ちなみに、ピアノも打楽器といえば打楽器ですね。この楽器もデカくて機構が複雑なため、ピアニストは調律(調整)出来ないのが普通です。

・・今日は、素材別?クラシック・・という形でお送りします。

2009/11/24

カルチエとクオーターの縁

カルチエ、というのはフランスの宝飾メーカーの名前ではなく、「地区」という意味の一般名詞です。

パリの「カルチエ・ラタン」といえば、日本語に直すと「ラテン語地区」、これは、パリ左岸の有名なソルボンヌ大学があるあたりの名称で、その当時のヨーロッパの国際語であるラテン語がつかわれていたことにちなみます。現在はカルチエ・ラタンといえば「学生街」というほどの意味に変化していますが・・・

そのカルチエ、英語読みをすれば「クオーター」となります。だから、このクオーターも4分の1ではなく、地区、という意味。アメリカ合衆国南部ルイジアナ州ニュー・オリンズの「フレンチ・クオーター」というのはつまり、「フランス地区」ということになります。

ルイジアナ州は、もともとフランスの植民地で、ニュー・オリンズはヌーベル・オルレアン、つまり「新しいオルレアン(フランスの都市)」という意味のこれも読み換え。その中に「フランス地区」があるのは不思議ではありません。そして実際に20世紀初頭までフランス語がこの地区では聞かれたそうです。

現在ではアメリカの専売特許のようになっているジャズ音楽。これも、フランスも一方の本場であったりします。ジャズとフランス語が結ぶ縁・・・でも、ジャズ音楽が発展したのは、もともとアフリカ大陸から労働力として南部に連れてこられた黒人たちが始めた音楽があってのことでした。

今日は、そのジャズの直接の先祖、「ラグ・ミュージック」の基礎を築いたラグタイム王、スコット・ジョプリンの誕生日。

休日ではありませんが、たくさんのジャジーなサウンドでお送りします。

2009/11/23

音楽のアジ

クラシック音楽を聴いていると、あたかも「正確な音楽」に聴こえるかもしれません。

ピアノは調律師さんが正確に調律するし、オーケストラも演奏の前にまずチューニングする。一流の奏者になるとヴァイオリンも管楽器も音程も正確で「あたかも機械の様な」素晴らしいテクニックを披露するし、その元になる楽譜は細かく正確に書いてあって、どんな人が弾いてもある一定の音楽が出来上がる・・・・・というのは、確かに正しくは、あります。

しかし、じゃあ、楽譜どうりコンピューターにパラメーターとして打ち込んで演奏させると、これがちっとも面白くない。最近のコンピューターによる音楽はかなり人間に近くなりましたが、それは何百分の一の単位でテンポや音程をずらし、微妙にゆらぎを持たせているからなのです。

つまり、テンポも音程も正確さが要求されるクラシック音楽ですが、ある意味テンポや音程の「不正確さ」が無ければ、味がない音楽になってしまう、いや、もっと言えば、音楽じゃなくなってしまうのです。

実は、世界の多くの音楽は、音程の正確さが要求されるものの方が少ないのです。日本の伝統音楽もそうですね。音程のゆらぎ、を最初から織り込んでいる音楽がほとんどです。

スペインのフラメンコも、オリジナルのものほど、音程のゆらぎが要求されます。そのゆらぎを織り込んで、世界に通じるクラシックを作った偉大なるスペインの作曲家、ファリャの、今日は誕生日です。

2009/11/20

神や王や皇帝の時代

大げさな話ですが、現代の社会、詳しく言えば、民主主義の社会、資本主義の社会の中で行なわれる音楽会では聴こえないものがあるかもしれない、そう思ったことがあります。

ベルリンの壁が無くなってから20年がつい先日祝われましたが、例えば、ショスタコーヴィチやプロコフィエフの音楽は、「壁の向う」で作られたものが多いわけで、やはり、日常的に緊張感の違うなかで彼らの音楽を聴いたら違うかもしれない。また、バッハの音楽は教会の中で聴くだけでも違うのに、バロックの時代に行って聴いてみると、もっと違うかもしれない。

現代から見れば、古い時代の、いまより不自由な時代の音楽、がクラシック音楽です。でも、クラシックも、他の多くの音楽と同じように、時代に呼応したり、自由を求めて作られたり、というようなものがたくさんあるわけです。よく「懐メロ」企画でその時代の背景が説明されたりしますから、それこそ数多くの「懐メロ」の集合体であるクラシック音楽こそ、その背景が解説されても不思議ではありません。

それがクラシックの多くの場合、なされないのは、おそらく時代が古すぎて、映像はおろか音声も残っていないし、もちろん同時代の証言者もいない。あるのは口伝と文献ぐらいです。

「その時代」の背景が必要なのは、現代とは価値観が違うからです。

そして、ものすごく乱暴な纏め方をすれば、クラシック音楽の価値観は、中世的なもので、現代の民主主義、とか資本主義、というものではありません。

それは、神と王、といってもいいかもしれません。今日は、そんな神や王が尊重された時代のクラシックをお届けすることをしてみましょう。中には、王の中の王、皇帝、などという人も登場したりします。

2009/11/19

飲めや歌え今日は解禁日

いよいよ、解禁です。

もちろん、ボジョレ・ヌーボー。

日本でもバブル時代以来でしょうか、すっかりボジョレ・ヌーボーという言葉は有名になり、こんな遠いフランスの言葉なのに、同じく流通業界が全国区にはやらそうとしている「恵方巻き」よりは、まだ人口に膾炙しているのではないかな・・・?などと、思っています。

最近知られるようになってきましたように、ボジョレ・ヌーボーは新酒中の新酒、まったく「速醸」のお酒ですから、味はそこそこです。イギリス人が始めた「11月第3週の木曜日に解禁のこのお酒をいかに早くロンドンで飲むか」という競争が全世界的に広まらなければ、それほど注目されることのない、フランスのテーブル・ワインです。

従って、ボジョレー・ヌーボー解禁日の意義は、「いかにそれを理由に飲むか」にあるわけであり、フランス本国でも、昼間から赤い顔をしてもとがめられない唯一の日です。実際に、私は競演した弦楽器奏者の音程がどうもおかしいと思っていたら、昼に飲んでいた、ということがありました。

なので、実際には、好きなお酒、フランスだったらお気に入りのワインを飲んでいるのです。

ただ、最初の一杯は、ボジョレー・ヌーボーをグラスで飲んでおく。

人から「飲んでるね?」といわれたら、すかさず、「ん~、今年のボジョレーはね、まあ、なんというか、そこそこ、それなりに、かなり、出来が、良いんではないかな・・・・?、うん、おいしい方だと思うよ、去年に比べても・・」

などというわけですが、毎年この言葉は一緒だったりします。

2009/11/18

言葉が先に

最近、日米で政権交代がおき、新しく登場した政治家の言葉に注目が集まっています。

アメリカはもちろん、オバマ大統領、そして、日本の与党となった民主党の政治家達も、それぞれの言葉で語っていると、おおむね好評なようです。

もちろん、政治の世界は言葉で発信したあと、それがどこまで実際に実行されるかが問われるわけですが、まずもって「言葉」が大事だというお話。

クラシック音楽も、その源流に宗教曲をもち、また、世俗音楽は吟遊詩人の語りの音楽、イタリアの宮廷の即興芝居の音楽、と常に言葉のそばにありました。・・いや、言葉が先にあった、といってもいいでしょう。

そして、言葉は地域に左右されます。ヨーロッパでは南のイタリア語が歌うように話すのに比べて、北欧の言語はこもっているように発音されます。そのため、音楽、オペラでは南のイタリアがまず先進国となった、というのは不思議ではありません。

ただし、時代とともに中心は北に移ります。今日は、音楽先進国イタリアから、クラシック音楽の中心国となる、ドイツに大きく舵を切るのに重要な働きをした人が登場します。

同時に、現代のリーダーの言葉、オバマ大統領の東京演説もクラシック音楽とコラボレーションします。お楽しみに。

2009/11/17

ブラジルのバッハ

2016年のオリンピック開催がリオ・デ・ジャネイロに決まり、沸いているブラジル。

南アメリカの中でも突出して大きいこの国は、世界的に見ても大国です。しかし、もともとポルトガル、スペインといったヨーロッパの国に「発見」され、その後も欧州列強、そして北アメリカとの関係によっていわば収奪されてきた側面のある経済は、いまだに苦悩を抱えているといってもいいでしょう。

今回のオリンピックが、ちょうど日本における東京オリンピックのように、ブラジルの一層の発展のきっかけとなることを願っています。

そんなブラジルを代表するクラシックの作曲家、ヴィラ・ロボス。今日は、「ブラジル風バッハ」を代表作とするブラジルのバッハ、たくさんの曲を残した彼を偲びます。

2009/11/16

政治介入

現在米国でも日本でも政権交代がおき、政治が注目度を増していますね。民主主義社会にあっては、自分たちの一票で政権を交代することが出来、行き詰まりを見せていた国の舵取りを新たなる人に任せてみる、ということが出来るのを実感している人が多いということでしょう。

音楽は、娯楽であったり、文化の一部分であったりするので、政治とはどちらかというと距離を置いたもの、というか遠い距離のものに思えますが、沢山の人々に影響を与える、という意味では近い部分もあります。そして、中には政治の道具として音楽をつかったり、または政治の敵として音楽又は音楽家を糾弾したりという不幸な出来事が過去にはありました。いや、過去だけの話ではないかもしれませんが。

今日は、政治的にも不幸だったといえるドイツの第2次大戦前夜、政治に介入されて亡命を余儀なくされた、20世紀音楽の大家、パウル・ヒンデミットの誕生日です。

クラシック音楽の本場ドイツは、政治によって音楽だけでなく、人々が翻弄された時代が長く続きましたね。先日のベルリンの壁崩壊から20周年、というのは、政治による「東西分断」が修了してから20年でもあったわけですから、感慨深いものがあります。

私がベルリンを訪れたのは壁の崩壊から数年後の90年代初頭でしたが、まだ歴然と東と西の差があったときでした。しかし、どちらの歌劇場も訪れることが出来るようになった、という喜びはあったと思います。

2009/11/13

ペーザロの白鳥

・・という異名を奉られたのは、イタリアを代表するオペラ作曲家、ジョアッキーノ・ロッシーニです。ものすごい速筆で年に数本も大ヒットオペラを生み出す時期があったと思えば、パリに逃げ出してしまい、かの地で「ウィリアム・テル」をものにしてからはすっぱりとオペラの筆を折ってしまう。その後も作曲をしなかったわけではありませんが、彼は大好きな美食三昧に明け暮れる・・・美食三昧といってもただ食べ歩くのではなく、自ら調理法を工夫して調理する、という懲りようでした。

たしかに、作曲も料理も、材料を吟味して完成品をイメージして、持てる技術をつぎ込んでお客を喜ばせる作品を作る、という点では似ているかもしれません。しかし、そんなにすっぱりと作曲から料理に切り替えられるものか?この辺りは、満遍なく「快楽」を追求したイタリア人らしい素質、ととるべきか、それとも当時のイタリアのオペラ作曲家の劣悪な労働条件、と考えるべきか・・・一見、至極単純そうに見えるロッシーニの生活にはいろいろな謎が隠れています。

謎、こつ、何でも良いのですが、作品というのは「あとひとひねり」が味を決定するようなところがあります。

たぶん、ロッシーニは、その人生の「こつ」を心得ていたのかもしれません。

今日は、彼の命日。パリで亡くなり最初はペール・ラシェーズ墓地に葬られた彼は、現在ではイタリア・フィレンツェのサンタ・クローチェ教会の立派なお墓の中に眠っています。

2009/11/12

シルクロードへの憧れ

日本人にとっても、シルクロード=絹の道、という言葉にはあこがれがありますね。極東アジアの日本から見れば、シルクロードは遠く、長く、険しい道ですが、その向こうには中央アジア、西アジア、海、そしてヨーロッパがあるわけです。西からやってきた宝物、というイメージは単なるイメージではなく、正倉院の宝物を見ても、それが現実であったことがわかります。

西の人たちにとっても、中央アジアはエキゾチックさを感じるには十分な土地でした。さらにその向こうには南にはインド、北にはシルクロード各ルートがあり、その向こうには中国、黄金の国ジパング・・・誰でも乗れる飛行機を使えば、1日で地球の反対側に行けるようになった現代では、かえってそういう「遠い土地」に対する焦がれるような想いが軽くなってしまったのかもしれません。それでも「世界遺産」などの映像ソフトが人気があるのは、もともと人間の知らない土地に寄せる好奇心という本能が、どこかにあるからかも知れませんね。

今日は、全編、クラシックにおけるあこがれの土地、結局それは中央から東にかけてのアジア、となるのですが、特集です。

すでに、地球は丸く、西にはアメリカ大陸が、東にはアジアがあることを認識したヨーロッパ人にとっての、憧れ、です。

2009/11/11

ぞろ目と発酵食品

今日は、11月11日。1年の日付の中で、最も数が多いぞろ目の日は12月12日になりますが、「すべて同じ数字」とすると、1が4つ並ぶ今日がもっとも最後の、そして最大のぞろ目ということになります。

昔からぞろ目、数字がそろったりすることは何かエクストラな力があると信じられてきました。ばくちの世界だけでなく、自動車のナンバーなどでも、ぞろ目はいまだに人気があるようです。

今朝は、ぞろ目に少しこだわってみよう、ということと、この日がぞろ目で覚えやすいから、記念日にしよう・・・ということで取り上げられたあの発酵食品、について、お話します。

人間ともっとも古くから付き合いのある食品です。

2009/11/10

女性・・

今日は、いろいろな女性をモチーフに曲を書いた作曲家が登場します。

それにちなんで、女性作曲家の曲、女性をテーマに扱った曲やオペラにも登場してもらいましょう。

男性にとって、ある意味女性は永遠の謎。

これらの曲を聴けば、少しは理解が深まるでしょうか・・・・・・・・・?

2009/11/09

人と変わったことが好きな・・・

一人が右を向くと次の人は必ず左を向く、といわれるフランス。よく言葉では「個人主義」といわれます。この言葉だけからすると「排他的」「他人を省みない」という意味合いにもとれますが、実際にかの地で暮らしてみた経験からすると、ちょっと誤解があるような気がします。たしかに、気配り、みんなで横並びの日本からすると、自己中心的ともとれる行動をしばしば目にしますが、それは何もフランスだけではなく、全ヨーロッパ、いや、日本以外の全世界で同じような感じです。

実は、フランスのイメージであまり定着していないのは、フランスがあくまで「ラテン」だということ。イタリアはこのイメージで考えられることが多いのに、フランスはパリの印象が強いために、「享楽的なラテン」とは考えられていないようです。しかし、実際には彼らはゲルマンではなくラテンの人たち。ものすごく大雑把に言えば、「人生楽しんでナンボ」という考え方が根底にあるのです。そのために、食事もおいしいのですね。それに引き換えアングロサクソンのイギリスや、ゲルマンのドイツは・・・・いやいや、やめておきましょう。

閑話休題、つまり根底に「仕事人生なんてとんでもない、自分の人生は自分で楽しまなきゃ」というコンセンサスが出来上がっているのが大方のフランス人、ということです。それを突き詰めるためには、他人の楽しみにも干渉しないかわりに、自分の楽しみを邪魔しないでくれ・・例えそれが風変わりに見えても、といったような考えに至っている。これが、私の結論です。

今日は、自分の心の美学を「楽しむ」ために、風変わりな曲と、風変わりな評論を書いた作曲家、ドビュッシーと彼の分身、反好事家八分音符氏に登場してもらいます。彼に「斬られる」作曲家は誰にしましょうか・・・?

2009/11/06

幅広い魅力

現代の全ての音楽が魅力としてアピールしている要素の中で、一番強調されているのがリズム、では無いでしょうか。クラシック音楽はメロディ、ハーモニー、リズム、と各方面に気配りをしなければなりませんが、その他のジャンルの音楽は、この中でも特にリズムを軸に作られている場合が多く、これはシェーンベルクがその昔に予言したとおりになったといえます。

ロシア音楽の父、というべきチャイコフスキーは交響曲、歌劇、バレエ、室内楽、器楽、と幅広い分野に魅力的な曲を残しましたが、それは何も「分野」だけのことだけではなく、「要素」に関してもいえるのです。

つまり哀愁を帯びた旋律、魅力的な転調を伴うハーモニー、だけでなく、彼の音楽の中には血湧き肉踊るリズムもあります。行進曲のように圧倒的なリズム感とともに華やかな金管のアンサンブルで進んでゆく音楽、もチャイコフスキーの魅力のひとつ。

どれかひとつの要素だけでしたら、他の音楽家の作品にも見られますが、これらの要素が満遍なく楽しめるチャイコフスキーの音楽は、やはりロシアを代表する大作曲家のもの、といっていいでしょう。

今日は、「ロシア音楽の父」の音楽の勇壮な魅力、そして、そのライバル超大国、アメリカのマーチ王も登場です。

2009/11/05

西欧かぶれ

西欧ヨーロッパにかぶれた、といった場合、あまり積極的に良い意味ではない、どちらかというと、「自国の文化を軽視して・・」というような批判が入っていることが多いようですね。

クラシック音楽がイタリア・ドイツ・フランスの西ヨーロッパを中心に発達したものであるかぎり、この分野を好きだったり扱ったりする場合は多少の差こそあれ、西欧かぶれ、にならざるをえません。

そして、かぶれるのは非西欧文化圏の人間・・・といったら、アジアなどになるのでしょうか?北米は人種的にも言語的にも西欧に近い、オーストラリアやニュージーランドもそれに準じるし、インドも言語的には英語が重要ですし、アフリカ諸国もヨーロッパの影響が残っているところもある。

じゃあ、ロシアは?アジアの我々から見れば十分にヨーロッパなロシアですが、西欧から見れば、半分はアジア、どうもヨーロッパの中心、というわけにはいかないようです。

ということで、ロシアでも「西欧かぶれ」は十分に存在できます。ちょっと日本人からすれば違和感がありますが・・

今週から日本列島は寒くなりました。寒い国ロシアで「西欧かぶれ」と批判された、作曲家が今日は登場です。

かぶれている、と当時は言われたものですが、彼は、押しも押されもせぬ、ロシアの作曲家ナンバーワン、です。

2009/11/04

人類の長い友

最初に人間と共に暮らすようになった動物は犬、ともいわれていますが、おそらく違います。

その前に、羊がいる。羊を飼うようになった人間が、牧羊犬として犬も飼うようになったのがおそらく順序と思われます。

それだけ、人類にとって羊はありがたい存在でした。もともとある程度寒い土地でも、牛なら牧草にならない草しか生えていない土地でも飼うことができ、毛は織物に、皮も利用し、もちろん乳はチーズに、肉もくまなく、そして脂まで、人間は「利用させていただいた」のです。

羊飼い、という職業はしたがってもっとも古い職業のうちのひとつ。聖書にもたくさんの羊に関する記述、比喩がありますし、キリスト教世界だけでなく、東の軍隊も、西の軍隊も、羊を兵站の一部として連れ歩いたため、広く地球上で人間と共に暮らしています。そういえば、世界最初のクローン動物も羊のドリーでしたね。

日本で羊というと北海道のジンギスカン、そして、眠るときに数えるもの・・・ぐらいであまり身近な存在ではありませんが、たとえばフランス料理では、高級料理から庶民の料理まで、幅広く羊は登場します。

今日は、羊がたくさん登場します。

2009/11/03

オーパス、ですか・・・?

クラシック音楽は現代に残っている音楽の中で一番長い歴史をもつものだけに、いろいろややこしい約束事、符丁があるのもまた真実です。

音楽に限らず、長い歴史を持つものには独特の言葉や印があったりしますね。クラシック音楽ではたとえば、オーパス、OPUS、略してOp.と書かれるもの。ラテン語の「作品」からきていますが、日本語では「作品番号」と訳されています。作品番号と言うからには、その作曲家の作品が時代順に並べて整理された番号では・・・と単純に考えたくなりますが、これは半分正解であり、半分不正解です。Opusという作品番号はどちらかというと「出版作品」につけられたもので、必ずしも、作曲順や年代順とは限らないのです。

・・・とここまでなら、まだよいのですが、モーツアルトだとケッヘル番号、ハイドンだとホーボーケン番号、バッハだとBWV番号、ベートーヴェンはOp.じゃないのもあったり、D.スカルラッティはカークパトリック番号だったりロンゴ番号だったり・・・ととにかく、知らない人からみたら「暗号か?!」と思ってしまったりするような状態です。

今日は、この作品番号の怪?に迫ってみようと思います。

2009/11/02

自然の声を聞く

昨日は諸聖人の日、その前の晩がいわゆるハロウィーンの晩でした。もともと、ケルトの人たちが再生の日、つまり一年の始まりとしたのが11月1日で、その前の晩に地獄の扉があいて死者たちが蘇る、としたのがハーロズ・イヴ、つまりハロウィーンです。そのために、ジャック・オ・ランタンかぼちゃの提灯や、お化けの仮装をしたりするのですね。

つまり、多くの祝日や休日の成り立ちと同じように、ハロウィーンもいわば自然の節目を織り込んだ暦上の習慣なのです。

地球温暖化というまさに「地球の声を聞かなくてはならない」時代にいる私たちこそ、自然の物音にもっと耳を傾けるべきではないでしょうか。

ところで、今までは単なる歴史上の出来事、とされてきた事柄も、実は「地球の声を聞かなかった」場合があるのです。

今日は、11月2日ですが、1755年のその前日11月1日、ヨーロッパはポルトガルで、大きな地震がありました。その時代ですから犠牲者の数は正確にはわかりませんが、数万人とも十数万人ともいわれています。

そして、その日に生まれた一人の王女。彼女は、火山の大噴火の結果の因果関係で命を落とすことになります。つまり、大きな気候変動が、この時代にあったということですね。

現代は気象観測の技術もあがり、昔に比べて精密に観測できるようになりましたが、それでも、地震や火山の噴火はなかなか予知できません。

今の我々も、謙虚に地球の声を聞くべきなのかもしれませんね。

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本田聖嗣

東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒。パリ国立高等音楽院ピアノ科・室内楽科を共にプルミエ・プリ(1等賞)で卒業。在学中よりヨーロッパ各地で活動を始め、2000年秋、東京・紀尾井ホールにて、「馥郁たるパリの香り」のタイトルの下に日本国内ソロリサイタルデビュー。同タイトルでオクタヴィアレコードより2枚のアルバムも発売されている。

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