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2009年6月

2009/06/30

音で静寂が作れるか?

最近は気になる音と逆位相の音を瞬間的にコンピューターで解析してスピーカーまたはヘッドフォンから出し、その雑音を消してしまう、つまり「音で音を消す」技術が飛行機のみならず自動車にまで搭載され、「ノイズキャンセリングヘッドフォン」として身近になってきていますが、そのお話ではありません。

音楽というのは人間の心を動かしてくれる作用がある、というか、言い換えればもともと人間の心が動いたところに音楽が発生したといっても過言ではないので、大体アクティブな気分にさせてくれるものが多い。昨日のルロイ・アンダーソンの作品などはサービス満点、という感じでウキウキさせてくれ、ある意味ディズニーランドにも通じるアメリカ的快活さがありましたね。

一方、リラックスさせるためのヒーリングミュージックなる分野がありますが、どちらかというとそれは「音響」に近く、物語性のある「音楽」ではない場合がほとんどです。これは音楽というより音楽環境、と幅広く考えるべきでしょう。

ところが、ここに音楽、どう考えても普通の音楽なのですが、ものすごく「静寂」を感じさせてくれるものがあります。もともと東洋、特に「禅」の国日本は静けさを大切にしてきたので、これは日本文化にも親和性が高いのではないのでしょうか。

今日は、音楽で静寂を描いた作曲家、スペイン、カタロニアのF.モンポウの亡くなった日です。昨日とは反対に、静かなる音楽をお届けします。

2009/06/29

それじゃあ重音楽ですかい?

軽音楽、という言葉があります。軽音楽部、軽音楽コンテスト、などというように使われたりするのですが、非常に漠然としたくくりで、ポップス、ロック、フォーク、などの分野が含まれる場合が多いのですが、どちらかというと正確な定義は「クラシックや純邦楽などの長い伝統を持つ音楽以外の音楽」と、消去法で言ったほうが正確に言い表せるようです。

クラシックはどう逆立ちしても「軽音楽」には含まれない・・・・・それじゃあえて言うと「重音楽」?

この辺りの評価がクラシック音楽が敬遠されている状況を言い表しているかもしれません。確かにポップスやロックなどの曲よりも1曲で1時間以上かかるクラシックは時間的には「長い」かもしれない。だけど、「重く」はないのです。だから、伝統音楽は「重音楽」ではないはずです。それ以外を軽音楽、なんていわないでください!!!

・・・・・・と言う前に、クラシックが如何に「軽い」音楽であるか、今日はとっておきの軽いクラシックをお送りします。

ルロイ・アンダーソンの誕生日です。

・・・あ、そういえば、彼も「軽音楽」って分類される場合が多い・・・どうも、「軽いのはクラシックじゃない」と思うほうに問題があるようです。

音楽に軽いも重いも、本来なら無いはずだからです。

2009/06/26

さすらいの魅力

イギリスや日本といった島国は、移動していればいずれは海岸線に出てしまい、外国は海の向うです。

しかし、大陸ヨーロッパでは、徒歩でも国境を越えることができるし、しかもその国境はすぐそばかもしれないのです。古来より旅には危険が付きまとい、それも命にかかわる深刻な危険でしたから人々は積極的には旅をしようとはしませんでした。

それでも、旅、さすらい、という言葉には魅力があり、自分達が出来ないならば、そうしている人たちに夢を託す、もしくは旅で遠くから来た人たちの話を熱心に聞こうとしたのでした。

そして、広大な地域を旅するためには人間は長い間騎馬に頼るしかなかったのです。そして、自動車が発明されるとそれにまた人は熱狂してゆく。

今日は、おそらく人間が本来的に持っている移動への憧れのお話です。

2009/06/25

食事に合う音楽?

音楽は体内のリズムに響き、多くの場合、体を活性化させます。そのため肉体を使う作業など、音楽無しよりも音楽があったほうがリズム良くはかどる場合があります。私はパリで引越し魔だったので荷造りの機会が多かったのですが、あるときの引越しから音楽をかけてパッケージングをしたところ、前回よりもはかどった経験をしました。「引越しの荷造りがはかどる音楽」・・・なんてOTTAVA con brioのリクエストテーマになりそうですね・・・・・。

さて、翻って、食事です。実は日本にいるといつも気になるのですが、食事をするスペース、多くはレストランですが、がほとんど音楽をかけています。ボリュームの多少はありますが、無音のレストランに出会うのはなかなか難しかったりします。

反対に、ヨーロッパでは音楽をかけているレストランはほぼ皆無に近い。あったとしたらそれは観光地の中心の観光客用レストランがほとんどです。これは、人々が食事と同時に行なわれる会話、これを何より重視しているために音楽が邪魔にしかならない、という理由が一番大きいと思いますが、もし、音楽が消化を著しく助けるものであった場合、会話をさえぎっても音楽が流される場合もあると思います。

つまり、音楽は唱歌、もとい消化にはあまり役に立たない?・・・・これは科学的考察が待たれるところですが、もちろん個人差もあるでしょう。しかし、日本と欧米でこれほど異なるのはなぜなのでしょうか?今日も音楽のせいで同席者との話が声高にならざるを得ない状況で私は考えてしまいます。

で、今日は「食卓の音楽」を作った人を取り上げたりします。

2009/06/24

共有財産としての水

現在梅雨の季節ですが、日本は確かに世界の中で見ると水に恵まれた国です。降雨量の多い国土に森林が発達し、きれいな水が手軽に入る環境が整っていました。ところが、そんな日本でも最近はミネラルウォーターを買うことも多くなってきましたね。私が子供のころはペットボトル入りの水、というものが存在しなかったことを考えると、この状況の変化は驚きです。しかも、水事情のいい日本に来ているミネラルウォーターがフランス製だったり、イタリア製だったり、カナダのものだったりします。

本来、人類の共有財産とすべき、つまり利潤追求の原材料になってはいけない水が、こうやって、世界で最も水資源に恵まれた国である日本でさえも地球を半周して商品として売られているのです。これは、一方で地球環境の保全、エコ、と掛け声をかけながら、矛盾していることではないでしょうか?

水は古来から人間の、いや動植物全てとともにあり、地球環境を作る大事な要素です。そして、芸術家にもインスピレーションを与えてきました。

梅雨の期間に、水に関するお話をしようと思います。

そして、また今日はキリスト教における聖ヨハネの祝日です。この日にまつわる音楽などもおおくりします。

2009/06/23

歴史的建物に泊まる

外国の方が日本を国内旅行するとき、たしかにホテルは均質なサービスで便利なのですが、旅館に泊まるのが楽しみです、といわれることが少なくありません。古い旅館になると、歴史的な建物に、それにあったスタイルのおもてなしをうけることができる・・・宿泊も旅の一部、文化を感じる体験をしたいというのは古今東西同じなわけです。

逆に、我々ヨーロッパから見ると外国人が欧州を旅するときに面白いのが「シャトー・ホテル」です。日本の日本旅館であれば北から南まで激しく違うスタイル、というのには出くわしませんが、たとえばフランスでは「シャトー」といっても地方によって本当にさまざまなスタイルなのです。もともと純粋な軍事的要塞だったもの、それも小規模な城館から城塞都市というような大規模なものまで、と、ロワールの城のように、王侯貴族の純粋な滞在型、つまり「館」というようなもの、地中海沿いのイスラムの海賊から守るために山の上にへばりつくように建てられたもの、ボルドーのワインを作るための「ワイナリー」としての「シャトー」・・・しかも、それらの建造物が中だけ改修されたもの、されていないもの、さらには近代建築で補ったもの・・・と実に多種多様なのです。

シャトーホテル、というとお値段が高そう・・・というイメージがありますが、そういったところだけではなく、日本風にいえば「ペンション」のような経営のシャトーホテルもみつかります。

都市の中に、国際的スタンダードのスタイルのホテルに滞在するのも安心感はありますが、ここは、ひとつシャトーホテルに挑戦してみませんか?

今日は、ヨーロッパの小国、アレンジの優秀な作曲家、ドイツの忘れられた作曲家、など、いろいろな話題をお話しする予定です。

2009/06/22

「属州」という国

ローマ帝国の言葉、つまりラテン語で属州、率直に言ってしまえば他国民の土地だったのだが自国の政治に組み入れてしまった地域、のことを「プリヴィンキア」と呼びます。地中海に覇権を打ち立てた広大な領土を誇るローマ帝国のことですから、この「プリヴィンキア」は各地にあったはずですが、その名がそのまま2000年後まで引き継がれた土地があります。もちろん南フランスの「プロヴァンス」地方です。

もともと北フランスのオイユ語、つまり古いフランス語とは違う「プロヴァンス語」をこの地域は持っていましたので、厳密にいえば「フランス」とも違う文化圏なのですが、そうやって他国・他文化の支配をいろいろ受けながらも、プロヴァンス地方は独特な文化と自然でわれわれを魅了してくれます。

そんな、プロヴァンス地方の中心都市、エクス=アン=プロヴァンスの一族でマルセイユ出身の作曲家、D.ミヨーの今日は命日です。

先週金曜日は「オッフェンバックとパリ」でしたが、今日は「ミヨーとプロヴァンス」でお送りします。

プロヴァンスが最も輝く時期、夏のヴァカンスシーズンがすぐそこまでやってきています・・・

2009/06/19

19世紀のフランス

18世紀末に革命をしてしまったフランスはその後の混乱時代、ナポレオン時代を経て、19世紀に突入します。その19世紀も決して平坦だったわけではなく、いくつもの政権交代や、戦争や騒乱が続きました。

そんな時代にも芸術の伝統は廃れることがなく、絵画・文学・音楽ともに現在我々がフランス芸術と呼んでいるかなりの作品がこの時代に生み出されています。

しかし一方で、堅苦しい芸術、から新たに台頭してきた市民層へむけての娯楽としての芸術、が盛んになってきたのもまた事実です。芸術は何も難しい顔をしたものばかりではない、と考えるのは、やはりフランスもラテンの一族だからでしょうか?

今日は19世紀のフランスが舞台、楽しい音楽とともにお送りいたします。一日早く、ジャック・オッフェンバックの誕生日祝いです。

現在横浜美術館で開催されている「19世紀のフランス絵画」展の公式ホームページはこちら

http://www.france19.com/

その公式ブログに私も寄稿させていただいています。一人だけずっこけエッセイになっています・・・・(汗)

http://www.france19.com/salon/index.html

2009/06/18

第1番は一人前のあかし?

クラシック音楽、というよく考えてみれば結構あいまいな音楽のジャンルです。OTTAVAがお勧めしている「新世界クラシック」のように、欧州以外でもクラシック音楽は存在するわけですし、そもそもクラシックとは古典、というほどの意味ですから、ある程度歴史の淘汰に耐えた音楽はみなクラシックに分類しても良い?かもしれません。

だけれども、クラシック曲の中の特徴的な曲の形式、「交響曲」はどうでしょうか?ソナタ形式という形式を踏んだ管弦楽曲、というのが大まかな定義ですが、たしかにこれはクラシック音楽特有の分野です。バラード、とか、ワルツ、とかはクラシックと一般に定義されていない音楽でもよく耳にしますが、ロック「交響曲」とか、テクノ「シンフォニー」とか、演歌「交響楽」というものはあまり聞いたことがありません。もともと長い曲をつまらなくしないために考え出されたのがソナタ形式ですから(だからクラシックは長大な曲が多い!)、なかなか現代のスピード社会になじまないのもしょうがなく、クラシック音楽以外の分野ではほとんど作られていない、少なくとも私の聴く範囲内では、そう思います。

逆に、クラシックの作曲家は、オーケストラの曲を書くときに、「交響曲」を意識せざるを得ません。国民楽派の初期のように、ソナタ形式を書く実力のなかった作曲家達が物語をそのまま管弦楽化して「交響詩」という分野を作ったりしますが、それでも、作曲家の頭の中には常に交響曲がちらつきます。もちろん、ハイドン、モーツアルト、そしてこの分野に永遠の足跡を残したベートーヴェンなどのことを考えながら・・・・

そのベートーヴェンが9番までの交響曲を残して亡くなったことから「9番以上作ろうとすると命を落とす。。」というようなある意味「都市伝説」が出来てしまい、これを意識して意図的に9番に番号をつけない人、マーラーなども現れます。それだけベートーヴェンの交響曲における足跡は大きかったと申せましょうか・・。

結局、作曲家が力を入れて作ることになってしまった交響曲ですが、完成した数は、人それぞれになっていきます。

しかし、交響曲を作る以上、1曲しか作らなかったとしても、必ず「第1番」は存在するわけで、今日は、そんな「第1番」ばかりを取り上げてみます。

交響曲を作るんだ!と力を入れて作る人、結局作ったけどこれだけ、つまり2番以降はない人、単なる習作、というか通過点であまり見るべきものがない人・・・など、「交響曲第1番」にかける思いは実にさまざまです。

もちろん、「交響曲の呪縛」を作ってしまったといっていいベートーヴェン先生にも、第1番をもって登場していただきます。

2009/06/17

100年前のヨーロッパ

21世紀になってクローズアップされてきた問題は地球環境の保全、でしょうか?この100年で我々はテクノロジーの進歩とともに急速に便利な生活を手にいれ、一方でその代償として化石燃料の燃焼やその他のことで排出した温暖化ガスにより、確実に地球の環境を変えているようです。ここ数日の関東地方の夕方以降の豪雨も、日本があたかも温帯から熱帯に変わったような激しさで、あらためて驚きました。

ところが、100年ほど前はテクノロジーの揺籃期で、人々はまだ地球環境の破壊までは思いが至っていなかったようです。それより、そのころ盛んに開催された万国博覧会で、人々は20世紀という新世紀に夢を膨らませていた部分も大きかったはずです。ところが、20世紀も20年ほどたたぬうちに、ヨーロッパを震源とする未曾有の大戦争に突入してしまう・・・・テクノロジーは人間環境の破壊をまず可能にしたのです。

今日は、フランスの作曲家C.グノーと、フランスでまず活躍したロシアの作曲家、I.ストラヴィンスキーの誕生日です。特に、ストラヴィンスキーがパリで活躍した、今から100年ほど前について、お話したいと思います。

2009/06/16

空へ飛ぶ

現代では昔ほど空を飛ぶことが難しくありません。大量の輸送力を発揮する民間航空の発達によって、飛行機に乗って旅行をすることは当たり前になりましたし、個人で飛行するレジャーを楽しむ人たちもたくさんいます。それどころか、お金さえ出せば現役の戦闘機に乗ったり、はたまたまだごく少数ではありますが、宇宙旅行の募集さえ出るようになりました。

また、古来より、人間の魂は上のほうに上ってゆく、と考えられていました。まだ飛行する機会などもなく、さらには、地球が丸かったり、大気圏の外には宇宙があるということが知られていなかった昔、天国や極楽はやっぱり上で、死者の魂は上昇するように定義されている場合がほとんどです。地球の引力を意識するしないにかかわらずいつも感じている人間は、それからの解放をどこかで望んでいるのでしょうか?

今日は、空を飛んで、跳んで、ただようお話と曲をお届けします。

2009/06/15

ノルウェイのつもり

森と湖、そしてフィヨルドの国、ノルウェー。隣国に北欧の大国スウェーデンがあったために、独立はそう昔のことではありません。

そして、北欧の中でも最も北の部分を国土に持ち、決して自然環境は恵まれてるとはいえません。

しかしながら、ノルウェーは豊富な天然資源を持ち、水産資源、すなわち漁業についても日本に負けず劣らず大国、どころか、日本へサケ・サバなど大量に輸出していることは、最近のスーパーなどでお魚の原産地表示を見ればわかりますね。

今日は、この北の国、ノルウェーと、かの国を代表する作曲家、E.グリーグのお話を中心にする予定です。

2009/06/12

山とともに暮らす

ヨーロッパアルプスの中の国、スイス。

標高の高い急峻な山々と、湖と、緑に囲まれたこの国は、短い夏を迎えます。夏でも山の頂には雪が残っているところもあり、しかも、そのすぐ近くにまでロープーウェイで上がることができたりします。

そんな山とともに暮らすスイスの香りをお届けできたらと思います。

今日は、日本でも人気の物語が登場したり、スイスの修道院での生活をお話したりしましょう。

2009/06/11

リヒャルト違いです。

クラシック音楽史上リヒャルト、というと、これはもう「楽劇」の創作者、リヒャルト・ワーグナーが真っ先に思い浮かびます。

その51歳年下で、もう一人のリヒャルトがいます。リヒャルト・シュトラウスです。彼は正当ドイツ音楽の系譜につらなり、交響曲も、交響詩も、表題音楽(交響曲だったりしますが・・)も、オペラも、歌曲も書いて大変幅広い作曲家、そして優れた指揮者であったにもかかわらず、ファーストネームはワーグナーと同じ、そしてファミリーネームはワルツ王シュトラウスと一緒ということで、随分割を食ったのです。

しかし、もっとも悔しいのは、彼が生まれたのが遅かったこと。ワルツ王や楽劇の王よりは遥かに後、19世紀も後半に入ってからでした。彼の生涯の後半は20世紀に突入してしまったのです。あらゆる意味で混乱と革新の時代に。

今日は、そんな彼の、145回目の誕生日です。そして、今年は彼の没後60年に当たります。

2009/06/10

時間を守るということ

今日は、「時の記念日」です。時間芸術である音楽にとっても、時、というのは大変重要なファクターですが、時の記念日は大正9年に時間をきちっと守り、欧米並みの生活合理化を図ろう、という意図の元に制定されたそうです。

で、時は流れて平成の時代。既に、日本の「時」は正確すぎるぐらいです。ヨーロッパの感覚ですと、電車の15分遅れまでは遅れには入らない、秒単位で列車が動くなどありえない、という考え方である一方、日本では、数分遅れても謝罪のアナウンスが入るぐらい正確、しかもヨーロッパのどんな都市よりも密度が濃く運行されている交通網の中で!・・・比較しやすいので鉄道にしましたが、身の回り全てがこのような感じではないでしょうか?

私も、ヨーロッパにいると時間にはアバウト、つまりプラスマイナス10分ぐらいはなんともありませんが、東京にいるとなぜか2分の遅れでストレスを感じたりします。欧州では気にもしなかったずれている時計を、日本では1秒単位で正確な電波時計にあわせてみたり。

時の記念日の制定意図はもう十二分に達成されたと思いますが、もう少しなんとかならないものでしょうか?江戸時代までは日の出と日没をもとにした大変アバウトな時間を使っていた我々なのに・・・・・それではビジネスに差し支える、というような声が聞こえてきそうです。

今日は、時、にまつわる話と、正反対の、のんびりできる作曲家の作品などをお送りします。

2009/06/09

瞑想の音楽

音楽が空気をきれいにする、というのは音楽の美しさを比喩的に表した言葉ですが、人間は皮膚感覚でもって周りの雰囲気を探知しているために、実際の空気の清潔さと関係なく、すがすがしい環境のときに「空気がきれいだな」と感じるようです。

西洋の教会や日本の神社仏閣で心が落ち着く感じがするのは、やはり祈りの場ということで人々の想いがあつまり、清浄な空気というものを醸し出しているからでしょう。

今日は、日本人のある重要な作曲家と、空気を変える音楽、そして、マルシェでは怪獣を取り上げるバラエティゆたかな一日です。

2009/06/08

ロマンティック

ロマンティックとか、ロマン溢れる、といった形容詞は現代では少しレトロな響きがあるような気がします。特に日本では、科学が隅々までいきわたり、人々の生活は様式化され、冷静な日常にとって「ロマンティック」という言葉はなんだか異質な感じさえします。

ヨーロッパの近代の始まり、それまでの絶対的な宗教的価値の時代から科学の発達や産業の興隆とともに人間中心主義が生まれ、そしてその中で個人的な感情を高らかに宣言するロマン派というムーブメントが出てきます。文学でも、音楽でも、現代の尺度からするとすこし赤面してしまうような表現もあったりしますが、その時代では、おそらく前の時代に対する新しい価値観として、存在が認められたのです。

実は、クラシック音楽にとってロマン派は背骨のようなもの。もし、ロマン派がなくてバロックと古典と、近現代だけだったら、クラシック音楽は骨抜きです。逆に言えば、少しレトロな響きのする「ロマンティック」を底流としているからこそ、クラシック音楽自体が「少しレトロ」なのかもしれません。

今日は、ロマン派の中心人物、そしてロマン派なのかでも特にロマンティックだったロベルト・シューマンの誕生日です。

彼の曲とともにロマンティックな曲ばかり、おとどけします。

2009/06/05

ヤワラカい話

昨日はレア・メタル、鉄に加えてものすごく固い鋼を作ったりする希少金属について少しお話しました。

今日は、正反対にやわらかいもの、ヨーロッパにとって欠かすことの出来ない基礎食料品のひとつであるジャガイモの登場です。とってもマルシェらしい品物です。

日本ではジャガイモというと肉じゃが、ポテトサラダ、コロッケ、とかファーストフードのポテトフライとか、親しみやすくてリーズナブルな食べ物というイメージでしょうか?ヨーロッパでも同じイメージではあるのですが、日本以上に登場回数が多く、そして、ダイレクトな形で食べる場合が多いような感じがします。日本のほうが手を加えて、そして「おかずの一つ」」的な扱い、ヨーロッパは簡単な料理で、「主食の一つ、たくさん食べましょう!」的な扱いとでも表現できましょうか。

そもそも南米高地原産のジャガイモは寒冷な気候でも多少土地が痩せていても出来るために、日本よりはヨーロッパに向いている作物です。それなのに、新大陸から入ってきたジャガイモはヨーロッパに根付くまでいろいろ紆余曲折があったのです。それは人間の「カタい」頭が原因でした。

今日は、調理するとホクホクやわらかいジャガイモが、固い人々の頭をどのように変えていったかの物語です。

おそらく、登場する作曲家たちも、たくさんジャガイモを食べていたことでしょう・・・

2009/06/04

カタい話

音楽の中でもカタい音楽、と思われているクラシック音楽ですが(硬い、堅い、難い、固い・・いろいろ漢字は当てはまります)、使われている楽器は一見木の楽器が多いように思われます。ピアノの筐体も木ですし、弦楽器はほとんど木、木管楽器も木が多そう・・

しかし、実際のところオーケストラというのは金属が主役です。華麗なる金管楽器たちはほとんど金属ですし、弦楽器だって最近の弦はほぼ金属製、木管楽器だって金属のキーシステムがなければ古楽器になってしまうし、打楽器もティンパニなどは金属でピカピカ光る部分が多く、ピアノだって金属がなければあのような音が出ない・・・そういえば、古い楽器であるパイプオルガンも、パイプはほとんど金属製ですね。

つまり、金属加工技術の確立した産業革命移行でないと、「現代的なオーケストラ」は成立し得なかったのです。

ところで、21世紀の今、金属は非常に身近になりました。20世紀の産業の米、「鉄」は身近にあるだけでなく、いろいろな特殊な金属がないと我々の現代の生活は成り立っていかないのです。

今日は、マルシェ・ド・フレスコ・スペシャル。いろいろな金属とそれにまつわる音楽をお届けします。

決して「カタく」はないですよ・・・

2009/06/03

人気商売?

大量に情報を送信するマス・メディアと、高速で通信するインフラの発達によって現代の世界は今までになく「情報の溢れる」世界となっています。

その中で、人気者となったり、人気を得たり、またはブームとなったりすることは今までの過去とは比較にならないぐらいの規模になってきているかもしれません。人気商売、といわれる人たちは本来的にそういったものに配慮しますが、興行界だけでなく、現代では政治家や企業経営者まで人気を気にしなければならず、テレビうつりなどに気を配る時代になっているようです。

広く情報を伝達する手段が発明されて以来、ブーム、または人気者、という存在は常に生み出されてきました。しかし、その中では、「自ら演出して人気者になった人」と、「演出しようとしても人気が出なかった人」、「人気獲得には興味がなかったのに人気が出た人」など、いろいろな人たちがいたのです。

今日は、クラシック界で大人気作品をものにした二人の人が登場します。

2009/06/02

ゆっくり行きましょう

「狭い日本、そんなに急いで・・・」という標語が昔あったのを思い出しますが、世界的にみても面積がそう大きくない日本列島内、確かにすごい速さで移動が行なわれています。地上には300キロを出す電車が駆け巡り、空にはものすごい密度で飛行機が飛び交う。

その影でゆっくり走る寝台車は廃止になり、時間に正確に運行される交通機関のせいで人間もせわしなくなったのか、2,3分の遅れでいらいらするようになる・・・確かに急ぎすぎているような気がします。

日本から比べるとヨーロッパの国々はゆっくりしていますが、その中でも歴史と歴史的なものを大事にするイギリスは、ひときわのんびりしたところがあります。紳士の国イギリスの、いろいろをのんびりと、今日はお話したいと思います。

2009/06/01

悪妻は必要か?

古代ギリシャの哲学者、ソクラテスにはクサンティッペという妻がいました。

そしてこのクサンティッペは「悪妻」として有名。もちろん、ものすごく昔の話ですから、おそらく構成の作り話がたくさん入っているはずで、ソクラテスという夫の偉大な名のせいで、「悪妻」というイメージがクサンティッペに蓄積していった側面もあることを割り引いて考えなければいけないでしょう。それでも、あまり夫の哲学に理解を示さなかったことは確かなようです。

クラシックの作曲家の中にも、悪妻で有名な人たちがいます。もちろん反対にものすごく夫婦二人三脚でうまくいった例もあります。

でも、悪妻、とは本当に悪妻でしょうか。そもそも女性は男性より現実的なところがありますし、夫の職業的なものに理解を示さなかったというだけで、悪妻とされる人たちも離婚されてはいないわけですから、夫婦仲は悪くなかったのかもしれません。さらに、逆説的にいえば、悪妻を持ったからこそ、ソクラテスは哲学のような「こむずかしい」ことを考えることになったともいえ、ひょっとしたら功績があるかもしれないのです。

もちろん、男女の仲は他人がうかがい知れないもの。本当のところは二人にしかわかりません。

でも、今日はちょっと、クラシック音楽界の「夫婦仲」について覗いてみましょう。

そして、今日は、悪妻を持ったことで有名な、偉大なる「交響曲の父」にも注目してみます。

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本田聖嗣

東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒。パリ国立高等音楽院ピアノ科・室内楽科を共にプルミエ・プリ(1等賞)で卒業。在学中よりヨーロッパ各地で活動を始め、2000年秋、東京・紀尾井ホールにて、「馥郁たるパリの香り」のタイトルの下に日本国内ソロリサイタルデビュー。同タイトルでオクタヴィアレコードより2枚のアルバムも発売されている。

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